輝き続けること

ご縁を頂いてもう2年になるでしょうか。
先日、ANA現役CA(キャビン・アテンダント)の里岡美津奈さんの著書「スーパーCAの仕事術」が発売されました。

著書の中ではCAのお仕事内容はもちろん、著者の里岡さんご自身の生い立ち、学生時代から就職、そして名実ともに業界トップCAになるまでの逸話、乳がんという女性としてはとても重大なご病気を克服されて職場復帰に至るまで、等身大の彼女の魅力が満載です。

中でも、多くの方の参考になるかと思われる「接遇」のお話はとても興味く拝読いたしました。(ANAではサービス「接客」と言わずに「接遇」というそうです。)

「接」と「遇」には両方「もてなす」という意味があります。
「接客」はお客様に対する接し方だけを指しますが、「接遇」は、自分と接点を持つ人すべてに対する態度を示します。

一緒に働く仲間にも「おもてなしの気持ち」を持ち、お互いに気持ち良く働けるようになれば、コミュニケーションのよくとれた、明るい雰囲気になります。
それはおのずとお客様にも伝わり、サービスにも表れて結果的により喜んでいただける。それがまた自分たちに返ってきて、より大きな喜びになる。「接遇」はそうした意味を持っているのです。
 著書より引用

いろいろな角度から本当の意味の「おもてなし」を考え実践していく様が書かれています。
(普段講話などもされてらっしゃいますので、分かりやすく、読み手に響き、感心することばかりです。)

またCAを目指す方でなくとも、ホスピタリティとは何なのかと考える方、また乳がんと闘う方、そして女性として輝き続けたい方、は共感する部分だけでなく学びの発見も多いかと思います。

一度お手にとってみられてはいかがでしょうか。
輝き続ける女性の秘訣がそこにあります。

岐路に立った時

美輪様の新刊『乙女の教室』のサイン入り本を先日友人に買ってきてもらい、時間を見つけては少しづつ読み進めています。
そして、今日開いたページには、

岐路に立った時、一番邪魔なのは”感情”です。
そして一番必要なのは”冷静さと知性、理性”です。
自信を持って冷静に行動していれば、乗り越えられない不幸はありません。

ああ、この言葉確か別の本でも。。。と記憶をたどってみてみると『愛の話、幸福の話』でもおっしゃっていました。


人生の岐路に必要なもの

人生の岐路にさしかかった時、
人間に一番大事なのは理知。
冷たい理性と知性です。
一番邪魔になるものが感情、情念、センチメンタル。
それらを徹底的に切り捨てて何が今の自分に必要か、
クールにクールに考え抜くのです。


この「クールに考え抜く」こと。
私の考え方としては、カウンセリング時によくお話しさせていただいている、
現世の3つの法則「カルマ、波長、おしるし」のことですね。
聡明なみなさんはもうお分かりですね。
必要なものはこの判断力です。

つまらない悩みから解放され、なりたい自分になるための答えがここにあります。

みんなおなじ

Amazonで欲しい本があり、そのついでになんとなく買ってみた好きな漫画家、山岸凉子さんの作品「白眼子(はくがんし)」。
題名になぜか惹かれてのでストーリーも知らず、レビューも見ずに思いつきで購入したのですが、なんと霊能者のお話でした。(何という導き!!)実在の人物がモデルとか・・・。

この作品の中には霊能力で相談者に多大な幸運をもたらすことで大企業の社長や政治家を後ろ盾に当時世間を騒がせていた霊能者のことも書かれていましたが(実在した人物、藤田小女姫さんをモデルにしていると思われます)
この白眼子はまさに名よりも実を取った人。
物質的なことでなく、その人のたましいの上で正しい行いかどうかを視ることをしていました。

中でも最も深くうなづけたのが霊能者である「白眼子」のことば。

『人の幸・不幸はみな等しく同じ量らしいんだよ
試練は人を強くさせる。
本当は災難を避けようとしてはいけないだ
災難は来るときには来るんだよ
その災難をどう受け止めるかが大事なんだ
必要以上に幸運を望めば
すみに追いやられた小さな災難は大きな形で戻ってくる』

真理ですね。

「今の試練、苦難がが終わったらもうこれで終わりですか?」
ということもよく、聞かれますが、同じ試練は乗り越えたら2度はきませんが、またレベルアップした別のことが経験を積んでよりたましいの向上をはかるためにやってきます。
まあ、普通に考えたら当たり前のことです。
死ぬほど練習してオリンピック選手に選ばれてもさらなる努力をしなければあっという間にレベルは落ちてしまうこととと同じですね。
ここで終わりということはすべての人にとってありません。
問題から逃げずに何を学ぶか、現世でしかできないこの経験の繰り返しです。
たかだか100年しかこのチャンスは与えられないのです。

この条件は、みんな同じです。
現世利益だけに惑わされないよう、けれども決して霊的真理を教典的に信じて逃げ込まず、現世こそが今の自分の中心であることを忘れないよう、バランスよく今生を生き抜きたいですね。

「Doris Collins」

ドリス・コリンズ(1918-2003)
聞きなれない名前かと思いますが、英国人の優れたミーディアム(霊能力者)です。
素晴らしい才能を発揮し、多くの人に生きる意味を伝えたミーディアムでありヒーラーです。
今回、実際の彼女の講演会でのリーディングを録音からおこし、つづった書籍『私はなぜスピリチュアリストとして生きるのか』が発売されました。
早速読んでみたのですが、説明どおり実際のリーディングをつらつらとつづったものなので、実生活でどう役立てるのか?というと難しいのですが、私自身もいつも皆さんに伝えているとても大切な、まさに現世を生きていくための基本がかかれていたので、ここでご紹介したいと思います。

「私自身の人生を振り返ってみても、一つとして塗り替えたいと思うものはありません。
皆さんと同じように、私は多くの間違いをおかし、幸せなときも不幸なときもありました、。不幸は私を大いに悩ませましたが、何一つ後悔していません。それらは私にとって必要なものだったからです。喜びや安らぎと、失望と哀しみはどちらも同じ人生であり意味があるのです。
 誰かが問題を抱えてやってきたときに、自身に一度も問題が起こっていなければその手助けはできません。
 すべての経験は人を成長させ、強くさせ、自己を形成させ、未来に立ち向かう勇気を与えてくれるのです。誰も絶望することはないのです。事実、この世界に孤独な人はひとりもいないのです。」

この言葉に説明は必要ないですね。

獲物を見ろ

恋愛に関する本なんて何年ぶりに読んだことか(爆)
林真理子さんと江原啓之さんの「超恋愛」。字が大きくてすぐに読める内容なので、雑誌のコラムを読むような軽い気持ちですぐに読めました。

その中でも印象的なお言葉。

「獲物を見ろ、矢を見るな」
つまり、自分はこんなところがだめだとか、自信がないとか、そんな「矢」=「自分」をなんだかんだ言う前に「獲物」=「気になる異性」の特徴をよく見抜け、ということ。

確かに振られたら嫌だ、とか彼の好みでなかったら、などなど悩む前に、しっかりと相手を見極めれば自分は彼の好みかどうかはおおよそわかるわけで、逆にどう考えてもその彼には自分は合わないとくときは標的を変えることもとても大事です。
つまり逃がした魚は大きい、ではなく、「引きずらない」ということですね。

もうひとつ
「テリトリーを理解するということは、自分をよく知ること」
自分はどういう人間かが解かれば、どこで自分の魅力を発揮すればよいかがおのずと見えてきます。
極端な話、不真面目な人ばかりがいるところで、自分の誠実さをアピールしても無駄ということです。

ごくごく当たり前のことが描いてあるのですが、自分のこととしてみてみるとムム・・と思うことも多いのではないかと思います。

以下は林女史のスバラシきおことば。
海外のホテルのロビーですれ違って「きゃあ、素敵」と思った男性に名刺を渡して、それからお付き合いが始まったことがあったもん。
もうひとつ、
ちょっといいなと思ったら「会社どこですか?」から始めて、「あ、私のオフィスからすっごく近い。今度寄ってもいいですか」とか平気で言ってましたよ。
ということだそうで。

自分の矢を案じる前に獲物をしっかり見て、その獲物に見合った振る舞いができる自分であること。
ここがおミソですね(笑)


名言

今日もちょっとヲタネタなのですが(苦笑)
画像からピンと来た方、そうです姫川亜弓嬢でございます。
ピンと来ない方、実は漫画「ガラスの仮面」のヒロインの北島マヤのライバルのお嬢さんです。
父は映画監督、母は女優という恵まれた環境に生まれ、もちろん才色兼備ですべてにおいて完璧といわれる少女なのです。
その彼女がシェークスピアの「ロミオとジュリエット」をひとり芝居で演じ、血のにじむような努力によってもちろん舞台は大成功。
このときの彼女の台詞で、

『わたくしが挑戦したのはきのうまでの自分自身です。
勝つことができてうれしく思っています』

という箇所があるのです。
この台詞を思い出すたびに、身の引き締まる思いです。
「私は自分に挑戦しているか、そして少しでも向上しているか。」

人は元来怠け者。
なかなか自分で自分に目標を与えそれを達成していくことは容易ではありません。
ましてやそれが仕事など逃げられない現実に直結していない場合、かなり難しくなります。
けれどもそんな時いつもこの台詞を思い出します。
あ〜勝ち負けどころか挑戦すらしていない・・・・
「亜弓さん、私もがんばります!!」
と夜な夜なそっと口に出して誓ってみたりしています。

星に願いを

私の好きな太宰治の著書に「作家の手帖」があります。
初めて読んだのは随分昔のことですが、この時期になると必ず思い出し、なんだか胸が熱くなります。日本人の美しい心、思いやり、夏の情緒、何をとっても太宰の素晴らしい表現力で描かれています。
せっかくですので、この情緒を感じてみてください。

ことしの七夕は、例年になく心にしみた。七夕は女の子のお祭である。女の子が、織機のわざをはじめ、お針など、すべて手芸に巧みになるように織女星にお祈りをする宵である。
支那に於いては棹の端に五色の糸をかけてお祭りをするのだそうであるが、日本では、藪から切って来たばかりの青い葉のついた竹に五色の紙を吊り下げて、それを門口に立てるのである。竹の小枝に結びつけられてある色紙には、女の子の秘めたお祈りの言葉が、たどたどしい文字で書きしたためられていることもある。七、八年も昔の事であるが、私は上州の谷川温泉へ行き、その頃いろいろ苦しい事があって、その山上の温泉にもいたたまらず、山の麓の水上町へぼんやり歩いて降りて来て、橋を渡って町へはいると、町は七夕、赤、黄、緑の色紙が、竹の葉蔭にそよいでいて、ああ、みんなつつましく生きていると、一瞬、私も、よみがえった思いをした。あの七夕は、いまでも色濃く、あざやかに覚えているが、それから数年、私は七夕の、あの竹の飾りを見ない。いやいや、毎年、見ているのであろうが、私の心にしみた事は無かった。それが、どういうわけか、ことしは三鷹の町のところどころに立てられてある七夕の竹の飾りが、むしょうに眼にしみて仕方がなかった。それで、七夕とは一体、どういう意味のお祭りなのか更にくわしく知りたくさえなって来て、二つ三つの辞書をひいて調べてみた。けれども、どの辞書にも、「手工の巧みならん事を祈るお祭り」という事だけしか出ていなかった。これだけでは、私には不足なのだ。もう一つ、もっと大事な意味があったように、私は子供の頃から聞かされていた。この夜は、牽牛星と織女星が、一年にいちどの逢う瀬をたのしむ夜だった筈ではないか。私は、子供の頃には、あの竹に色紙をつるしたお飾りも、牽牛織女のお二人に対してその夜のおよろこびを申し上げるしるしではなかろうかとさえ思っていたものである。牽牛織女のおめでたを、下界で慶祝するお祭りであろうと思っていたのだが、それが後になって、女の子が、お習字やお針が上手になるようにお祈りする夜なので、あの竹のお飾りも、そのお願いのためのお供えであるという事を聞かされて、変な気がした。女の子って、実に抜け目が無く、自分の事ばかり考えて、ちゃっかりしているものだと思った。織女さまのおよろこびに附け込んで、自分たちの願いをきいてもらおうと計画するなど、まことに実利的で、ずるいと思った。だいいち、それでは織女星に気の毒である。一年にいちどの逢う瀬をたのしもうとしている夜に、下界からわいわい陳情が殺到しては、せっかくの一夜も、めちゃ苦茶になってしまうだろうに。けれども、織女星も、その夜はご自分にも、よい事のある一夜なのだから、仕方なく下界の女の子たちの願いを聞きいれてやらざるを得ないだろう。女の子たちは、そんな織女星の弱味に附け込んで遠慮会釈もなく、どしどし願いを申し出るのだ。ああ、女は、幼少にして既にこのように厚かましい。けれども、男の子は、そんな事はしない。織女が、少からずはにかんでいる夜に、慾張った願いなどするものではないと、ちゃんと礼節を心得ている。現に私などは、幼少の頃から、七夕の夜には空を見上げる事をさえ遠慮していた。そうして、どうか風雨のさわりもなく、たのしく一夜をお過しなさるようにと、小さい胸の中で念じていたものだ。恋人同志が一年にいちど相逢う姿を、遠目鏡などで眺めるのは、実に失礼な、また露骨な下品な態度だと思っていた。とても恥ずかしくて、望見出来るものではない。
 そんな事を考えながら七夕の町を歩いていたら、ふいとこんな小説を書きたくなった。毎年いちど七夕の夜にだけ逢おうという約束をしている下界の恋人同志の事を書いてみたらどうだろう。或いは何かつらい事情があって、別居している夫婦でもよい。その夜は女の家の門口に、あの色紙の結びつけられた竹のお飾りが立てられている。
 いろいろ小説の構想をしているうちに、それも馬鹿らしくなって来て、そんな甘ったるい小説なんか書くよりは、いっそ自分でそれを実行したらどうだろうという怪しい空想が起って来た。今夜これから誰か女のひとのところへ遊びに行き、知らん振りして帰って来る。そうして、来年の七夕にまたふらりと遊びに行き、やっぱり知らん振りして帰って来る。そうして、五、六年もそれを続けて、それからはじめて女に打ち明ける。毎年、僕の来る夜は、どんな夜だか知っていますか、七夕です、と笑いながら教えてやると、私も案外いい男に見えるかも知れない。今夜これから、と眼つきを変えてうなずいてはみたが、さて、どこといって行くところは無いのである。私は女ぎらいだから、知っている女は一人も無い。いやこれは逆かも知れない。知っている女が一人も無いから、女ぎらいなのかも知れないが、とにかく、心あたりの女性が一人も無かったというのだけは事実であった。私は苦笑した。お蕎麦屋の門口にれいの竹のお飾りが立っている。色紙に何か文字が見えた。私は立ちどまって読んだ。たどたどしい幼女の筆蹟である。
 オ星サマ。日本ノ国ヲオ守リ下サイ。
 大君ニ、マコトササゲテ、ツカエマス。
 はっとした。いまの女の子たちは、この七夕祭に、決して自分勝手のわがままな祈願をしているのではない。清純な祈りであると思った。私は、なんどもなんども色紙の文字を読みかえした。すぐに立ち去る事は出来なかった。この祈願、かならず織女星にとどくと思った。祈りは、つつましいほどよい。


神様は常に大我を受け入れてくれます。


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