早いものでもう新年もひと月が過ぎようとしていますが、今年のテーマは「知る」こと。
今年は阪神淡路の地震から20年、地下鉄サリン事件からも20年。
東日本の震災もそうですが、その一時期いろいろ思ったり、行動を起こしても「喉元過ぎれば・・・」元々が自分のこととして捉えていないだけに、気の毒とか自分に何かできなか、などど、感情だけで行動しているので結局のところ何故このような経験をする必要があるのかということを「考えない、知ろうとしない」ために自己満足に終わり結局本来の意味を理解しないまま学ばずじまいになってしまいます。
というのも、どれくらいの人が直接寄付などはしていなくとも今でも節電を心がけ、原発や放射能のことを真剣に考えているでしょうか。
何事もその経験の理由をきちんと理解しない限り、感情だけで理不尽だ、と人や社会をうらやんだり、妬んだり、間違った平等という捉え方をするがために自分が被害者の様な間違った感情に捉われてしまいかねません。
丁度、新年のメッセージの中で、
「相手」が自分にために演じてくれている役割に気付いた時、自分の意識が変わり、それに比例して「相手」も変わる。
というものがありました。
この「相手」というところは「病気」と置き換えても同じことです。
とかく人は相手を理解するよりも自分を解って欲しいという気持ちが先になりがちです。
そのために、自分と違うものの見方、考え方をする相手を非難したり、その違いに苦しみ、本来なぜそのような出会いがあるのかの意味を分析することをおろそかにしてしまいがちです。
病気などは特にわかりやすく、「なんでこんな目に」という気持ちに捉われて、その病気にならければ気づかなかったことや得られなかったことを忘れがちです。
けれどもどんなことにも必ず意味があり、自分に気付きを促し、自分の未熟な部分、足りない部分をあぶりだしてくれます。
というのも、すべての人は愛され、生かされ、成長すべくこの世は計算しつくされているからです。
皆さんも後になってその意味が分かったという経験がおありになるかと思います。
だからこそ、すべての経験から学びを深めて恐れることの無い幸せな自分になるために常に「波長・カルマ・おしるし」に当てはめて考え、物事を正しく分析する癖をつけましょう。
見方を変えれば日々、気付きを促し成長させてくれる出来事がいっぱいで、自分がいかに愛され生かされているかが分ります。