先日お休みをいただいて、ご先祖のお墓参りに義母と共に行ってまいりました。
慰霊祭の前に義母が、
「お父さんが亡くなって今年でもう10年なんて早いわね〜。
そういえば、
『死にたい人間に食え食えとお前はよくそんなこと言えるな』
ってお父さんに言われて、あの時は辛くて涙が出たわ。
頑として何にも食べてくれないもんだから、本当にこうと決めたら意志が強くって・・・」
と当時のことを話してくれました。
義父は縛られること、カッコ悪いことや粋でない事が大嫌いな根っからの江戸っ子で、
その昔、入院してもこっそり病院を抜け出してくるような武勇伝?!を持ち、
晩年、脳梗塞でままらなない体になったことが何よりものストレスだったようで、
義母にだけは、本音をぶつけて「死んだ方がまし」と食事も頑なに拒んでいたようでした。
私は自分の仕事柄、義母とは以前から死後のことなど話したことはありましたが、
改めてスピリチュアリズムについて話したことはなかったので、
そんな時、病気というものは健康な時に気付かなかった自分の思い癖や行動の修正のためになるものであって、決して不幸ではなく、自分の未熟な行動や思い癖をあぶりだすものなので、病気が自分に何を学ばせようとしているかを分析して受け入れて克服していくことが大事なことや、
家族も病気になった本人の学びを理解するからこそ、本当の意味での寄り添い、見守りができるので、決して辛いとか苦しいという感情でなく、本人が一生懸命に学んでいる姿を通じて自分も学ぶということをもっと前にしっかりと話す機会があったら、、、と思いました。
人に頼ることが苦手で、弱みを絶対に見せず、なんでも独りで背負い込んでしまう繊細で必要以上に人に気を遣う義父。
だからこそ人と支え合う、頼る、やってもらう、必要以上に気にしない、頑張りすぎない、その学びのためになった病気でした。
病気に限らず、自分や自分の身の周りで起こるどんなことにも意味があり、
それは自分を成長させ本当に幸せになるためのステップでしかありません。
だからこそ、出来事の状況を正しく捉え、理解して、受け入れて克服して、成長していく自分になれるための法則、これがスピリチュアリズムです。
本当に辛いとき、どうにもならない時に必ずその意味を理性的に捉えられ、いかに生きていくべきかを理解することで自分だけでなく人をも幸せにできる叡智です。
無難は人を成長させません。
難が有るからこそ、難を乗り越えて成長した自分になれたときその学びに感謝する、「有難う」になるわけですね。