『
足るを知る』ということを4年前のブログでも書いていましたが、その時は「断捨離」という言葉がちらほら出始めた頃で「モノ」について書きましたが、これからは自分の生き方そのものについて「足るを知る」時代です。
けれども本当に「足る」を知るには自分を知らなければはじまりません。
自分は何を欲しているのか、何が自分の求める幸せなのか、これが分かっていないと人をうらやむだけで努力しないただの怠惰な人になってしまいかねないからです。
多くの方がこの自分はどうしたいのかという軸がぶれてしまうために「こうでなければいけない」と焦って不安になり悩んだ結果、安心したいがために「こうあるべき」という誰かが作ったマニュアルにすがって自分で考えることなく、その通りに生きて行こうとしてしまいます。
そのいい例が、お金がないと不安、無名の会社で安月給で働くのが不安、学歴がないのが不安、ブランド品を持っていないのが不安、家も車も持っていないのが不安、いい暮らしができないと不安、独身が不安、子供がいないのが不安、つまり誰からもうらやましがられるような「なんでも持っている勝ち組」でないと不安。
その不安から抜け出たいがために、もっともっと、とモノやお金を持たばければと思い込んでしまい、自分を追い込むことになります。
本当に自分はそうなりたいのでしょうか。
「高学歴で一流の会社に入社して出世して高給取りになりたい。
欲しいものは何でも買える生活がしたい。」
これが本当に自分が望むことなら遊ぶ時間を惜しんで子供のころから猛勉強して、偏差値の高い学校に入り、大手企業に就職し、一日でも早く上のポジションへ、という常に人と競争して結果を出し続ける人生であっても、なりたい自分に向かって前進しているので傍から見て大変そうでも本人は望み通りですから毎日が充実していて楽しくてしょうがないはずです。
並大抵の努力では実現も維持もできません。これはこれで素晴らしい生き方です。
けれどももしも自分が、世間のマニュアル通りに生きなければ、とこうするべきで行動していたとしたら、どうでしょうか。
毎日の競争は苦痛そのもの、脱落する同僚を明日は我が身と必死になって走り続けることに疲れてしまいます。
仕事で成功している人は人の何倍も働いているから結果がついてきているのです。
けれども何倍も働けるのはそれが心からなりたい自分の像と一致しているからであって、
そうでない場合はストレスで病気になります。
また、病気にならずに上手くこなしていったとしても手広く仕事をするほど人間関係も広くなり、お付き合いだけでも大変で自分の時間などほんのわずかになってしまいます。
毎日誰かと分刻みに逢って、息つく暇もなく、睡眠時間も削り、大切な人や友人との約束、既婚者なら家族との時間も削って仕事に打ち込みます。
食事も仕事を兼ねたものばかりで何を食べたか味も解りません。
また、お付き合いで買わなければならないものもぐっと増えます。
入る分出ていくものも大きいわけですね。
そのうち何のための買い物なのかもよくわからなくなってきます。
終いには多くの人と利害関係だけでつながっているので人間不信にもなります。
こんなに大変なことを自分が強く望みもしないでこなせるわけがない、ということです。
ですから自分がこれでいいのだ、これが自分の幸せなのだ、と判断したら周りの声に惑わされないことが大事です。
他人に理解されなくても、自信を持って自分の価値観を貫くことに意味があります。
その結果何物にも惑わされず、不安や恐れが無くなりぶれない軸を持った自分が出来上がります。
軸がしっかりすると言葉と行動が一致し、地位や名誉でなく自分の人間性を認められることで良い人間関係が出来上がって心も満たされて行きます。
「少欲知足」だけが正解ということではありませんが、常に自分自身がどうなりたいのか、それは本心からなのか、モノがないと不幸という一般論に踊らされていないか、自己分析して自分に分相応なところで足るを知ることが大事ですね。
※画像は毎年我が家に春の訪れを告げてくれるライラックです。
淡々と自分のシステムに従って咲き誇る姿は美しいです。