誰もが無難を好み順風満帆につつがなく過ごしたいと思いがちですが、現世ではそうは問屋が卸しません。
いつもお伝えしている通り、人はままならないことからしか学ぶことができないので、生きている限り成長のために苦難はやってきます。
そしてより大きな喜びや満足感を得るためにはそれに比例して大きな苦難を乗り越えらえる自分になることが試されます。(世の大きな成果を上げた人の全てが何度も挫折を味わい、けれども決してあきらめずに克服してきたことは周知の事実ですね)
ですので、何につけ「私を理解して」と自分だけを大事に思う気持ちから卒業しない限り自分が成長し、幸せになることはありません。
というのも自分が理解されたければまず相手を理解することができて初めて、自分が理解される為には何が足りないからなのかが見えてきて、どう対処していけばいいのかが分かるからです。
そうすることで人から自分にされる態度、反応、行動に関して必要以上に悲観的になったり、否定的になったり、懐疑的になる、という無駄なエネルギーを使わず、相手が鏡となって自分の未熟な部分をあぶりだしてくれているだけなのだ、と理解できます。
たとえば仕事などでよくある、相手が自分を評価してくれない、理解してくれない、感謝してくれない、都合よく利用されている 手柄を横取りされた などということがあったとき、理解されたいという気持ちばかりなので、
この人は何で人を褒めるとか感謝するということができないのだろう
この人はやってもらって当たり前と思っているのか、それとも鈍感で気付かないのか
この人はずるいし性格が悪い
等、とままならない相手を非難して、けれども相手は変わらないので、決して自分の気持ちは満たされませんし、状況も変わりません。
だからこそ相手を理解しようとすることが先なのです。
なぜ、相手は自分にこういった行動や態度をとるのだろうか。
いつも通り波長、カルマ、おしるしで考えればいいだけです。
自分は人を褒めたり、感謝したり、評価してきただろうか
人に何かをしてもらった時に当たり前と思っていたことはなかったか
良く考えたら自分もいろいろこの人にやってもらって特に感謝の気持ちを伝えていなかったのではないか
必要とされたい、いい人と思われたいと認められたい気持ちや褒められたい、人よりも気が利くと思われたいと相手のためでなく、自分の事ばかり考えてあわよくば出し抜きたいなどと動機が不純ではなかったか
頑張っていればいつかきっと認めてもらえると相手に依存していなかったか
みんな自分と同じような考え方をするに違いない、人はこうあるべきと思い込んでいなかったか
この仕事や会社に先は無いな、と思いつつもその先仕事が決まらなかったらという不安の方が大きく文句ばかり言いながら、自分は結局何も努力していなかったな
等、と自分の未熟な部分をあぶりだされる貴重な気づきになります。
だからこそ相手を理解しようとすることで自分が何故この経験をする必要があったのかが分かり、克服することで成長し、正しい対処ができるようになるのでその結果相手に理解され、思うような結末にたどり着くようになります。
正にすべては自分のこと。
誰かと自分のことではないからですね。
自分に意地悪をしたり邪魔をすることが目的で出会う人はいないのです!