初夏の強い日差しに目黒川沿いの桜並木の新緑が映える季節になりました。
そんな初夏を感じる陽気の中、先日2日間開催いたしましたスピリチュアリズム勉強会は両日「受け入れるのか自分が変わるか」こちらがテーマとなりました。
仕事を例にすれば、やりがいのある好きな仕事をしたい、でもそう上手くいかないかもしれない。
今よりも収入が減ったり新しい人間関係が面倒な気もする、新しいことを今更やってもモノにならないかもしれない、だったらこのまま我慢した方がいいのかもしれない。
けれども、やっぱり毎日耐えられない、もう限界かも・・・。
このようなよくある状態です。
この場合、受け入れるとは→収入の安定、人間関係がある程度読める、新しい事を一からやるリスクがない、だったら嫌なこともあるけどこれは生活のためと割り切って働こう。
だからもう悩まない。よく考えたら私には仕事よりももっと大事なことがあった。と自分の人生の優先順位をしっかりと見極めたうえで受け入れて行きます。
変わるとは→もう耐えられないだからこそ夏までに辞めよう。じゃあ私には何ができるか、どうしたいのか、それで生活をしていくためには何を学び、如何アピールしていけばいいのか。そもそも何故、ここまで耐えられないのか、じゃあどうすれば自分は満たされるのか。
転職してすぐにできることはあるのか、を冷静に分析して今の様に同じところをぐるぐる回ってしまう自分から卒業するということです。
この「受け入れるのか変わるのか」が当然ながら、なかなか選択できません。
けれどもこの選択ができないと「なんでいつも私ばっかり」と辛いとか苦しいとか理不尽だという感情ばかり先立って、悲劇の主人公になってしまい正しい対処ができなくなってしまうことになりかねません。
つまり「痩せたい(変わりたい)、でも食べたい(受け入れる)」と同じこと。
食べなければ痩せる、食べたら痩せない、と理屈では分かっています。
けれどもなかなか決断できないもの。
けれどもこの選択ができないと感情に傾き、ついついいくら食べても太らない人をうらやましがったり、妬んだり、ダイエットをしようとしている人に対して「少しくらい食べても大丈夫だって、ご褒美ご褒美」などと甘い誘惑で自分も食べてしまうことの免罪符にしてしまったり、正しい対処ができなくなる訳です。
つまり、全ては自分のことであるのだという理性がどこかに行ってしまい、自分で考えず、手っ取り早く人と比べることで自分の行動を決めようとしてしまうからです。
スリムだろうがぽっちゃりだろうが結局は人間性。
自分がどうしたいか、どうありたいか、ここに尽きると分析できる自分になることが大事なのです。
今の自分にとって何が一番大事なのか。
スリムな体なのか、美味しいものを食べたいのか。
仕事の安定を望むのか、個人として自分の力を試したいのか。
責任主体で自律していくことがまず先です。
そのためにも人からどう見られるかにこだわり、既存の常識や価値観に縛られ、誰かと自分を比べることを止め、ぶれない軸をもつことが大事です。
というのも、正解は自分にしかわからないからです。
そして「これでいいのだ」という実践の継続が自信や人からの信頼につながります。
自分らしい充実した日々を過ごす事の積み重ねが、自分が望む未来を築いていきます。