立春を過ぎ、梅の開花のたよりもありますが、花粉症の私には喉の痛みと鼻の不調から春の訪れを感じる今日この頃です(涙)
とはいえ今日は朝からぐっと冷え込み雪模様。
まだまだ厚手のコートが手放せませんね。
さて、先日開催しました2月のスピリチュアリズム勉強会は、頭でわかっていてもなかなか行動に反映させるのが難しい仕事における「大我と小我の判断」が大きなテーマになりました。
(本当に何につけ、この大我と小我は関係してきます(苦笑))
真面目で頑張り屋さんの皆さんには覚えがあることと思いますが、
望まれたことに対して「仕事ができない自分は許せない、使えない人間だと思われたくない」という気持ちが起きるのは当然ですし、その結果、褒められたり、感謝されたり、認められたりすると、やっぱり頑張ってよかった、ということもありますが、実はその頑張った動機ひとつで結果が大きく変わってしまいます。
というのも「その仕事を頑張ってやらせていただきたい、どこまでできるか挑戦したい」という相手や会社のための他利愛をたましいから理解しての行動でしたら良い結果が出ます。
けれども「自分はこう思われたい/こう思われたくない」という自分だけを大事に思う気持ちが動機の場合、周りが見えていないので結果として上からは既にキャパオーバーなのに更に仕事を任されて、その結果その評価を下げたくないがゆえに無理をして体や心を病んでしまったり、ふと気づいたら自分以外誰もその仕事ができないがために延々やる羽目になったり、最悪の場合、本来上司の仕事であることまで「期待している、君ならできる」などと言われ押し付けられることもしばしば。
また、同僚や部下からは「何でも自分がやらなければ気が済まない人、仕切り屋さん」などと心無いことを思われたり、「なんでもやってくれるから自分はやらなくてもいいや、出来なくてもいいか」と思われ、全く仕事を覚えようとしないという不本意な状態を招いてしまい、自分は頑張っているのに・・・と理不尽さばかりが募り、どんどんモチベーションが下がってしまいます。
つまり、全て自分独りでオーバーワークしているとしても動機が大我であったり、しっかりとした目的意識があれば、何の疑問も理不尽さもなく、なんでも自分が頑張ってやっていこうと思え、達成感や満足感が得られるわけです。
けれども他利愛をたましいから理解し、実践できていないと動機が小我なのでせっかくの行動も自己犠牲に留まり、我慢や義務感が前提となってしまうためにその対価として自分を認めて欲しい、褒めて欲しいという気持ちが強くなったり、自分ばかりが大変な思いをしているという被害者意識が強く出てしまうことになってしまいます。
厳しい言い方をすれば今自分が苦しい状況にあるとき、実は自分がその状況を招いていることが無きにしも、なのです。
ですから常に自分の動機がなんであったかを見つめることが大事です。
そこが見えてくるとすべてのことに無駄はなく、自分の未熟な部分を知り、成長させるために起こったことなのだということが見えてきます。
そしてそこから自分のたましいの癖や生まれた意味を理解し、受け入れ、活かしていくことに意味があり、結果につながるのです。