10月も終盤になり、いよいよ秋本番。目黒川沿いの桜の葉も少しずつ色づいてきました。
急な気温の変化に皆さまお風邪などお召しになっていませんでしょうか。
すっかりご報告が遅くなってしまいましたが、今月のスピリチュアリズム勉強会では、人が簡単に出来ていることが何故自分にはなかなか越えられないハードルなのだろうか、ということが主なテーマのお話になりました。
自分の周りを見まわしてみてもこのようなことはよくあるかと思います。
たとえば、
人にものを頼むのがい上手い人、苦手で何でも独りでやってしまう人。
家族に恵まれている人、いつも苦労させられている人。
いつもなんだかついている人、貧乏くじばかり引く人。
この違いはいつもお話ししているとおりこの世の三大法則である「波長・カルマ・おしるし」で判断すればいいのですが、自分が生まれてきた意味、目的を理解していないと理不尽の一言で終わってしまいます。
自分が生まれてきた意味=たましいの目的とは何なのか?
これはもちろんひとりひとり異なるので、ある人は人と支えあうことが目的だったり、
ある人は自分を分かってもらうための努力をすることが目的だったり、またある人は他者を受け入れることが目的だったり、といずれにせよ過去世で経験できなかったこと、克服できなかったこと、「たましいの癖」これを理解することで見えてきます。
ですので、「自分はなぜ人に頼ることができないのだろう」と思った時、
周りを見渡すと必ず甘え上手、頼み上手な人がいます。
それは自分の苦手なことを身近な人がお手本になり実践してくれているのです。
けれども自分とその人は別の人間であり、生まれた目的も違います。
ですからそういった人が身近にいる意味もなかなか理解できず、自分は違うから、と思ってしまったり、また同じやり方をして思うように上手くいきません。
ということは、その人を通じて自分を観ること、
自分はどうやら人に頼るということに罪悪感を感じやすい
頼る=迷惑をかけるという考え方が強すぎて、人から迷惑な人と思われたくない、嫌われたくないと思ってしまう
使えない、できない人と思われたくない
等とそこで気持ちが止まってしまい、互いに無いものを補い合い、支え合うという考えがなく、自分がしっかりしていれば・・・で考えが止まっていることが問題なのでは?
というところに気付けるようになることが学びになります。
つまり自分だけを見つめるのではなく広い視野を持って自分の思い癖を判断できるようになることが大事な訳です。決してなんでも甘えてみる、とか甘え上手な人をそっくり真似ることではありません。
常に自分へのメッセージを的確につかむことでそれを理解し、受け入れ、克服することで本当の幸に向かっていくことを促されているのです。
つまりジムで二の腕を細くしたい人とウエストを細くしたい人とではトレーニング内容が異なるのは当たり前で、自分に必要なトレーニングをすれば思い通りの結果が出るという分かりやすい仕組みです。
このカリキュラムを見つめることこそが、ありのままの自分を受け入れることであったり、自分らしく生きるということなのです。
ですから、何もしなくていい=ありのまま、そのままでいいのではなく、自分がどの部分を鍛えたいと思って生まれてきたのか、を理解することが大事なのです。
人が簡単にできて自分にできないことはその部分が自分の克服すべき(鍛えたいと思っている)き箇所の証。
逆にあなたがもう充分過去世から鍛え抜き、今生は必要のない箇所を人は今から鍛えなければならないことも多々あるのです。
だからこそ、自分の鍛えたいところに焦点を当ててたましいを磨いていきましょう。
そのために生まれてきたのですから。