アインシュタインの言葉に「宗教のない科学は不完全であり、科学のない宗教は盲目である。」というものがあります。
私的には「宗教」の部分を「信仰」と言い換えて考えて、信仰のない化学はクローンなど行き過ぎてしまったり、科学のない信仰は、ここの水を飲んだら病気が治る、とか東に行ったらお金持ちになる、などと楽して感情に走ってしまったりと、どちらが欠けてもバランスが悪くなる、と捉えていますが、今の原発再稼働のことなどもこれに当てはまるかと思います。
目に見えないものへの畏れの気持ちを忘れ、物質至上主義という盲目になっている人間に対して自然界からのメッセージは世界的にも地震、洪水、火山噴火、干ばつ等々まだその傲慢さに気付かないのかとばかりにここ数年にかけておしるしがやってきています。
そして何より困ったことに、庶民はのど元過ぎれば熱さを忘れてしまい、指導者たちは我が身が大事、そしてそんな人たちでも初詣やお墓参りなどの神様にご挨拶したり、先祖供養など目に見えないものへの敬意を表す行動をしているであろうにもかかわらず、再稼働に向けて推進のサインを出してしまっていることです。
目に見えないものを敬う気持ちが本当にあったなら、昨今の便利の追及は間違っていると世界的な異常気象からも気づくはずです。
そしてそのために関連企業の人々が職を失うことが無いよう代替エネルギーの会社などを設立して雇用を約束したり、またそのような企業を応援したり、それが無理でも生活の補償をすべく、動き始めなければと考えます。
また、先祖を供養する気持ちがあるなら、今回の震災で亡くなった方々やご遺族が、今の状況を見るにあたりどんなにやるせない気持ちで過ごしているか容易に想像できるはずですね。
言葉と行動の不一致とバランスの悪さ、が問題なのです。
いきなり国を変えるようなことは独りの力では確かにできません。
けれども、自分の日頃の言葉と行動が一致しているか、
エコをうたいつつ、ごみの分別ができていないのでは矛盾しているだけでなく、
いずれすべての行動にその矛盾が映し出され、だれからも信用されなくなるのです。
自分の身の回りのことから理性で判断すること、そして行動にも反映させていきましょう。
※画像は記憶にある方も多いかと思いますが、2008年に噴火したチリ南部のチャイテン火山です。まるでCG作品のように見えますが、自然の現象です。
自然への畏れを感じずにはいられません。
日本にも最大級の休火山である富士山があります。
私たちの自己中心的な荒れた波動が引き金となることもあり得ます。
まずは自分から、小さなことからでも言葉と行動を一致させていきましょう。