先日ある山形の女性が、
「今回の震災で被災地の方々に何か自分にできる支援はないものか」
と思っていたところ、
新生児を抱えた若いご夫婦が難儀な避難所生活を送っているというニュースをみて、
自分の家に空部屋が一部屋あるので、是非一家を迎え入れたいという申し出をし、今現在その女性のご自宅の一室で赤ちゃんとともにその若いご夫婦が寝泊まりされています。
若いママは
「見ず知らずの方に、こんなによくしてもらって、もう驚くやら、ありがたいやら・・・」
といようなことをおっしゃっていました。
きっとこのお母さんは、自分のお子さんに人と助け合うことの素晴らしさをしっかりと伝え、このお母さんも、お子さんも今後同様の行動が人に対してとれる人になるでしょう。素晴らしい経験です。
この自宅にご夫婦を受け入れた山形の女性は、ご自身が子育てをしたことがあるからこそ、親の子を思う気持ち理解できるからこそ、の大我の実践ですね。
人ごとでなく、自分のこととして今回のことを捉えているのが分かります。
シルバーバーチ霊訓に、
『知識はすべて大切です。何かを知れば、知らないでいる時よりも、その分だけ得をします。知らないでいることは暗闇の中を歩くことです。知識は大切な財産です。なぜならば、知識から生きるための知恵が生まれるからです。判断力が生まれるからです。知識が少ないということは、持ち物が少ないということです。』とあります。
けれども知識の有効利用には教養が必要です。
知識を分析し、自分のものにしていく力、それが教養です。
物事を知っていてもその人の人格や生き方や行動に反映されていなればただの頭でっかちに終わってしまい、無知と頭でっかちは結局のところ自分だけ大事に思う小我な行動をとることにつながります。
知識と教養のバランスが取れてこそ今本当に何をするべきかが見えてきます。
知識だけが先行してしまったがために自分の家族だけは海外や西日本に非難しよう、なんてパニックに陥ってしまうわけです。
勿論この山形の女性のようになることは(山形とて今の生活が安定しているわけではありませんから)大変な覚悟がいるわけですし、人それぞれの器にふさわしい方法を選択すればいいことですが、やはり教養がないと自分だけ助かろうという小我に陥ってしまい、このような大我の行いに結び付かないのです。
知識と教養と想像力、このバランスをとることが大事なのです。
今できることは、義援金や節電はもはや当たり前のこと。
では被災地以外に住む私たちは、日本の経済を支えるこも大事な役目です。
被災地の人に申し訳ない、と言いつつ買い占めはするくせに、外食もしない、服も買わない、などと節制するのはあまりにも矛盾です。
多くの物資を送ることは当然ですが、送るためには物を生産してもらわなくてはなりませ
ん。生産してもらうためには消費者が物を買うことで企業にお金を落とさなければなりませ
ん。でないと日本全土が不景気になり経済破綻してしまいます。
そうすれば人を救うどころが自分のことで精いっぱいとなることが目に見えています。
誰かが何とかしてくれることはありません。
今回の震災は人ごとではないのです。すべては自分のことです。
自分の人生と同じで、受身になって自分から動こうとせず、思い通りにならない現状に文句ばかり言っていては一生自分は不幸なまま。
自分の想い、行動によってしか、物事は変わらないのです。
人任せはやめて責任主体で生きて行動していきましょう。