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  • 2021.08.18 Wednesday
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INCEPTION

今日はただのシネマレビューです。

久々に大興奮してしまいました。
正直個人的には「MATRIX」以来の衝撃ですっ!(ということは12年ぶりですか:驚)

クリストファー・ノーラン監督の作品なので、期待はしていたものの、すっかりはまりました。

この監督といえば、「バットマン ビギンズ」・「ダークナイト」など、魅せることがうまく、音楽、映像ともにいうことなし。

また、ノーラン監督作品おなじみのサー・マイケル・ケインやキリアン・マーフィー、渡辺謙さんなどの顔ぶれにくわえて、マリオン・コティヤールや「500 Days of Summer 」のジョゼフ・ゴードン=レヴィットなど、個人的に大好きな役者さんばかり。
他の役者さんもキャラクターがわかりやすく、ひとときも目が離せませんでした。

※余談ですが、「JUNO」のエレン・ペイジも出ていましたが、以前よりもちょっと綺麗になたかしら〜なんて母のような気持ちで観てしまいましたが、彼女をみると「大竹しのぶ」さんを連想してしまうのは私だけでしょうか。。。

これから観る方もいらっしゃるかと思いますので、詳しい内容には触れませんが、ディカプリオ君の演ずるコブがアイディアや情報を盗み取る企業スパイがとして人の夢(潜在意識)に入り込み、今回は盗み取るのではなく、植付ける(インセプションする)という話なのです。
ストーリーにこれといった斬新さはないものの、やはり魅せ方と世界観、音楽が素晴らしく、本当に148分という長編ですが最後まで集中し、常に頭をフル回転させすっかりのめり込んでしまいました。

また、ヒプノセラピー(催眠療法)をする私としてはある意味とても興味深い内容でした。
是非映画館で観ていただきたい逸品です。

私は時間ができたらもう一度観たいですね〜(笑)

不動心

 梅雨明け以来、毎日35度を超える猛暑の日が続いていますが、皆さん体調など崩されていませんでしょうか。

私は丁度よく時間ができたので、「これは今ということだな」と思い立ち、かねてより導きを感じていた「香取神宮」「鹿島神宮」に紫外線アレルギーの私にとっては殺人光線?!のふりそそぐ中でしたが、意を決して先日参拝してきました。


まずは香取神宮です。
御祭神は、出雲の国譲りの神、経津主大神(フツヌシノオオカミです。
国家鎮護の神ですから、やはり大我の心をもって、自分がこれからどう生きていくか決意をするような御宮です。

朱塗りの鳥居をくぐり、少し進むとその先に奥宮、要石へと続く小道があります。



美しいですよね〜。
強い日差しを遮るように、森に囲まれ、御神気が漂っています。
強い、というよりも何とも清々しいエネルギーを感じる場所です。

そして、遂に「要石」に到着です。

古代、地震の多かったこの地域。
地震の原因は地中にオオナマズが住みつき、そのナマズ退治のために、香取、鹿島の両神宮の神様が地中深く石棒を差し込んだという神話があります。

ちなみに、ここ香取神宮のものは凸型、鹿島神宮のものは凹型です。


そして、また参道に戻りいよいよ拝殿へ。

黒漆塗りのどっしりとした荘厳なつくりで、大きな鏡が配置されています。
柏手の心地よく響くまさに内観しなさい、という御宮です。
いただいたメッセージも、
「なにごとにも心動かず、常業を守っていくこと」。
心にしみこませ、内観しつつ、自分の道を見つめなおす素晴らしい時間を過ごさせていただきました。

そして次は「鹿島神宮」です。
御祭神は武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ) で、こちらも国家鎮護の神であり、また、武芸の神様でもあるので、
古代、戦での勝利の祈願を命がけでされた当時の武将の強い意思、決意の重大さを想像することができます。


(香取さんと違い、こちらは大きな石の鳥居です)

この鳥居をくぐるとサーっと気が変化するのがはっきりと感じ取れます。
その先には杉に囲まれた素晴らしい参道が開けます。

戸隠神社奥社の杉並木のような人を寄せ付けないような崇高さとは違い、もっとやわらかいけれども神々しいようなエネルギーを感じました。






気持のよい木漏れ日の中、進んでいくと、

神様の使いといわれる鹿さんたちが住んでいる鹿園がありあます。
何でも、かつてはこの神宮周辺の森には多くの鹿が棲息していたとのこと。

この日はとても暑かったので、飼育員の方に水をかけてもらい涼んでいました。
鹿さんもこの夏の猛暑にはうんざりのようで、木陰を見つけて群れになって休んでいる姿もみられました。

そして参道の突き当たりには奥宮があります。

こちらは1605年に将軍徳川家康公が本殿として奉納された宮で、本殿の造営によって奥宮になったそうです。
個人的には現在の拝殿よりもこちらの方が好きです。
こちらでいただいたメッセージも、
「神の誠を心に得れば己も神の如く尊い人である・・・自分さへ邪心なければ人も正直で万事円満・・・」等々、やはり大我の心を持ち、己の内なる神我を見つめ、不動心を持って信心して進むこと、ということですね。

さて、この奥宮を起点に、右へ行くと「要石」があります。

こちらは香取神宮同様、地震を起こすオオナマズの頭を押さえる石といわれている他にも、鹿島神宮の大神が降臨し、御座したともいわれています。

なんでも、徳川光圀公(水戸黄門ですね)が石を家来に掘らせてみたものの、掘れども掘れどもあまりにも巨大で掘れなかったとか。
色々な逸話があるようです。
そして、香取神宮の要石は凸方でしたが、こちらの要石は凹型。
対をなしているところをみても、はやり、鹿島神宮と香取神宮は兄弟宮という関係があるようですね。

現代でも、人の心が荒れていると自然界の波動も荒れ、天災が起きやすくなるものです。
自分の心と向かい合うためにも、こちらで誓いを立てる事の重要性を感じました。
それにしてもこの要石は手をかざすと掌が熱くなりました。このように祀られていることも納得できます。

そして先ほどの奥宮の左の道を下ると古代から、禊の場として知られる「御手洗池」があります。

ここは一日に400kl以上の清水が湧き、今もなお清らかな水をたたえています。

この霊水は持ち帰ることもでき、ペットボトルにつめていらっしゃる方も。

干ばつのときもここの水だけは涸れなかったと言われるだけあり、池の水は透き通るようで、日差しが反射し、何とも美しい光景でした。

そしてこの池の前には旅の醍醐味(爆)でもあるご当地美味しいもの探しにふさわしいお茶屋さんが♪

女将さんのつくる御手洗団子と5代目の息子さんの手打ちそばが美味しい「一休」さんの「三色団子」です。
かなり大きめなので、男性でも大満足かと思われます。

この時お蕎麦もいただきましたが、湧水で作ったお蕎麦の味も最高でした。



結局今回も食べ物でしめとなりましたが(爆)、
自分自身との対話、内観と決意、今後の進み方、生き方にまでも向かい合える意味のある参拝になりました。

こんな世の中だからこそ、自分の立ち位置をはっきりと自覚し、決意するためにも、神々の導きをいただき、自分自身を見つめなおしてみてはいかがでしょうか。

最悪の病

ここ数年、子が親を殺し、親が子を殺す、そして終いには誰でもよかった・・・というような事件が「またか」というように報道されています。

これを私たちは決して当たり前、最近の若いお母さんは、とか最近の子供は、で片づけてはいけないのです。

皆さんはもう「カルマ」を御存知ですよね。
このような事件の報道により、他人事でなく自分はどう生きるか、何を学ばされているのか、と理性で考えることを求められているのです。


マザー・テレサがこんなことをいっています。

先進国にも、一つの貧しさがあります。
それは、お互い同士、
心を許していない貧しさ、精神的貧困、淋しさ、
愛の欠如からくる貧しさといってもいいでしょう。
愛の欠如こそ、
今日の世界における最悪の病です。

まさにマザーがおっしゃっていた通りのことが今の日本で起きているのです。
誰からも必要とされていないと感じる心、
親にとって都合のいい、所謂いい子でない自分は愛されないのだという、物質中心主義の価値観から来る本当の絆を感じることができない親子関係、
社会に出ても競争して結果を出すことに必死で友達が作れない人々、

人として、何が大事で何が幸せなのか、ということを誰からも教えられずに育ってしまった子供達、そしてその親達。
大切なのは「愛」です。
自分も他人もかけがえのない尊い存在であり、受け入れ、
情に流されるのではなく、頭はクールに、心は温かく、
あくまでも人は「個」であるからこそ、支え合うことが大切で、それが出来る人間力のある人間になることが大事なのです。

他人に優しく、
自分が大切な存在であるからこそ、他人も同じように大切であることを想像すること、
常に理性の心を保つための心の偏差値をあげましょう。

これが病の特効薬です。

地獄極楽は胸三寸にあり

『地獄極楽は胸三寸にあり』

以前もこちらで紹介したことのある言葉ですが、今日は不思議とこの言葉を何人もの方に送ることになり、これは今日どうしても再度皆さんにお伝えするべき時なのかもしれない、と思い、再度書かせていただきました。

もうご存知の方がほとんどかと思いますが、自分の心持ひとつで、その状況を地獄と捉えるか、極楽と捉えるかで大きな違いが出る、という意味です。

これはある意味とてもスピリチュアリズムに則った言葉でもあり、自分に起きることのすべてには意味があって、無駄はなく、自分が本当の幸せ(魂の浄化向上)になるためのステップなのだ、というこのことになります。

今日自分起こった不幸も、
なぜこんなことを経験しなかればいけないのだろうか?
どんな意味があるのだろうか?
と理性で判断することによって、実は自分の未熟な部分が浮き彫りになり、不幸すらも必ずいずれ感謝に変わるものなのです。難しいことですが、これがかなり的確にやってくるのです。

だからこそ、常に自分にとって無駄なことは起きない、すべては気づきを促してくれる感謝すべきものなのだ、と頭だけでなく、心で理解することが本当の幸せへの一歩なのです。

常に極楽の心でいられる秘訣はここにあります。

みんなの学校

 ライヴイベント、「みんなの学校」〜歌と授業と給食と〜 にいってきました。
江原啓之さん、辛島美登里さん、渡辺俊幸さんを先生とする学校に私たちが入学する、という設定で、歌、音楽を通じて人の心を学ぼうという斬新なスタイルの公演で、大いに楽しませていただきました。

学校という設定ですので、まずはみんなで校歌斉唱。(もちろん事前にyoutubeで予習済み)
そのあとは時間割通りに各先生の授業を受け、そして驚きなのが副題にある通り、給食として懐かしいコッペパンをいただいたり、色々な話を聞きながらの「授業」を受けました。

もう何十年も色々な公演に参加していますが、食べたり、飲んだりしながらのものは初めてで、企画された皆さんの熱意、とどれほど会場の選択にお骨折りなさったかが容易に想像できました。

内容も素晴らしく、日本の唄の歌詞に込められた意味や歌から分かる日本の文化、そして想像することの大切さ、音と人の不思議な関係、長調は陽、短調は陰、メロディでけでなくハーモニーがいかに大事か、というようなお話し等々、すべてが興味深く、新しい発見の連続で生きるということにすべて通じている授業でした。

イベントの内容はここだけでは語り尽くせませんので、後日色々なところでご紹介したいと思いますが、今、本当に心の底から今後の日本の心配を誰がしているのか、と考えた時に、すぐに思いつかないのが現実です。
子供がいないから関係ない、でもなく、子供がいてもせいぜい孫の代くらいまでしか考えられないのが現実です。
今、まさにこのままではいけない、という危機感をすべての人が持って変わっていくときなのです。
ですので、スピリチュアリズムの歴史的にみても今は「実践」の時代です。
今、あなたはどうしますが、何をしますか、どうしていきたいのですか、そこが大事ですね。

そして今回のイベントから学んだことはまさに、霊訓にもある

 霊格が向上すればするほど、生命活動が協調によって営まれていることを悟るものです。
 自分一個で生きているものは何ひとつありません。
 お互いが力を出し合って生きています。
 一人ひとりが無限の連鎖関係の中の一つの単位なのです。
 一人だけ隔離された生活をするようになってはいけないのです。
 みんなと協力し合って生きていくようにできているのです。

 心から「人のために」という 気持ちになれば、
 必要なものはそのうち必ず 揃うものです。

この言葉です。
心地の良いハーモニーを作り出せる人間に自分がなること。
そしてそのためにという気持ちが本物なら必ず必要なものも人も揃うこと。

今回の「入学」で「音」を通じて多くのことを学ばせて頂きました。

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