梅雨明け以来、毎日35度を超える猛暑の日が続いていますが、皆さん体調など崩されていませんでしょうか。
私は丁度よく時間ができたので、「これは今ということだな」と思い立ち、かねてより導きを感じていた「
香取神宮」「
鹿島神宮」に紫外線アレルギーの私にとっては殺人光線?!のふりそそぐ中でしたが、意を決して先日参拝してきました。
まずは香取神宮です。
御祭神は、出雲の国譲りの神、経津主大神(
フツヌシノオオカミ)
です。
国家鎮護の神ですから、やはり大我の心をもって、自分がこれからどう生きていくか決意をするような御宮です。朱塗りの鳥居をくぐり、少し進むとその先に奥宮、要石へと続く小道があります。
美しいですよね〜。
強い日差しを遮るように、森に囲まれ、御神気が漂っています。
強い、というよりも何とも清々しいエネルギーを感じる場所です。
そして、遂に「要石」に到着です。
古代、地震の多かったこの地域。
地震の原因は地中にオオナマズが住みつき、そのナマズ退治のために、香取、鹿島の両神宮の神様が地中深く石棒を差し込んだという神話があります。
ちなみに、ここ香取神宮のものは凸型、鹿島神宮のものは凹型です。
そして、また参道に戻りいよいよ拝殿へ。
黒漆塗りの
どっしりとした荘厳なつくりで、大きな鏡が配置されています。
柏手の心地よく響くまさに内観しなさい、という御宮です。
いただいたメッセージも、
「なにごとにも心動かず、常業を守っていくこと」。
心にしみこませ、内観しつつ、自分の道を見つめなおす素晴らしい時間を過ごさせていただきました。
そして次は「鹿島神宮」です。
御祭神は武甕槌大神(
タケミカヅチノオオカミ) で、こちらも
国家鎮護の神であり、また、武芸の神様でもあるので、
古代、戦での勝利の祈願を命がけでされた当時の武将の強い意思、決意の重大さを想像することができます。(香取さんと違い、こちらは大きな石の鳥居です)
この鳥居をくぐるとサーっと気が変化するのがはっきりと感じ取れます。
その先には杉に囲まれた素晴らしい参道が開けます。
戸隠神社奥社の杉並木のような人を寄せ付けないような崇高さとは違い、もっとやわらかいけれども神々しいようなエネルギーを感じました。
気持のよい木漏れ日の中、進んでいくと、
神様の使いといわれる鹿さんたちが住んでいる鹿園がありあます。
何でも、かつてはこの神宮周辺の森には多くの鹿が棲息していたとのこと。
この日はとても暑かったので、飼育員の方に水をかけてもらい涼んでいました。
鹿さんもこの夏の猛暑にはうんざりのようで、木陰を見つけて群れになって休んでいる姿もみられました。
そして参道の突き当たりには奥宮があります。
こちらは1605年に将軍徳川家康公が本殿として奉納された宮で、本殿の造営によって奥宮になったそうです。
個人的には現在の拝殿よりもこちらの方が好きです。
こちらでいただいたメッセージも、
「神の誠を心に得れば己も神の如く尊い人である・・・自分さへ邪心なければ人も正直で万事円満・・・」等々、やはり大我の心を持ち、己の内なる神我を見つめ、不動心を持って信心して進むこと、ということですね。
さて、この奥宮を起点に、右へ行くと「要石」があります。
こちらは香取神宮同様、地震を起こすオオナマズの頭を押さえる石といわれている他にも、鹿島神宮の大神が降臨し、御座したともいわれています。
なんでも、徳川光圀公(水戸黄門ですね)が石を家来に掘らせてみたものの、掘れども掘れどもあまりにも巨大で掘れなかったとか。
色々な逸話があるようです。
そして、香取神宮の要石は凸方でしたが、こちらの要石は凹型。
対をなしているところをみても、はやり、鹿島神宮と香取神宮は兄弟宮という関係があるようですね。
現代でも、人の心が荒れていると自然界の波動も荒れ、天災が起きやすくなるものです。
自分の心と向かい合うためにも、こちらで誓いを立てる事の重要性を感じました。
それにしてもこの要石は手をかざすと掌が熱くなりました。このように祀られていることも納得できます。
そして先ほどの奥宮の左の道を下ると古代から、禊の場として知られる「御手洗池」があります。
ここは一日に400kl以上の清水が湧き、今もなお清らかな水をたたえています。
この霊水は持ち帰ることもでき、ペットボトルにつめていらっしゃる方も。
干ばつのときもここの水だけは涸れなかったと言われるだけあり、池の水は透き通るようで、日差しが反射し、何とも美しい光景でした。
そしてこの池の前には旅の醍醐味(爆)でもあるご当地美味しいもの探しにふさわしいお茶屋さんが♪
女将さんのつくる御手洗団子と5代目の息子さんの手打ちそばが美味しい「一休」さんの「三色団子」です。
かなり大きめなので、男性でも大満足かと思われます。
この時お蕎麦もいただきましたが、湧水で作ったお蕎麦の味も最高でした。
結局今回も食べ物でしめとなりましたが(爆)、
自分自身との対話、内観と決意、今後の進み方、生き方にまでも向かい合える意味のある参拝になりました。
こんな世の中だからこそ、自分の立ち位置をはっきりと自覚し、決意するためにも、神々の導きをいただき、自分自身を見つめなおしてみてはいかがでしょうか。