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  • 2021.08.18 Wednesday
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目の保養、心の栄養、耳の栄養

春の舞台、秋の音楽会。
毎年のお楽しみの美輪様の舞台。
今年は久しぶりに「葵上・卒塔婆小町」でした。

どちらも女性の悲しい性をテーマにした舞台でしたが、席がとてもよかったので、以前も観ていたものの、また新たな発見と新鮮味を感じつつ観劇できました。

「葵上」は皆さんもご存じの通り、源氏物語がベースのもので、六条御息所が源氏の正妻である葵上に嫉妬して自分でも気付かないうちに源氏を思う気持ちの激しさゆえに生霊になってしまい、夜な夜な葵上を苦しめ、遂には呪い殺してしまう、という悲劇ですが、何とも言えない人間の思いの強さ、愚かさを感じつつも、
「思い・言葉・行動」はどれであっても、カルマになるのだということを実感しました。

そして「卒塔婆小町」
こちらは美しく生まれたが故に罰を受けるという悲劇。
この世の陰と陽、まさに正負がテーマの作品です。
これはある意味、若かりし頃の美輪様ご自身の人生とオーバーラップするようで、本当に幻想的で美しくも哀しい作品でした。

以前「不幸のルール」で「人を羨む人」ということをご紹介しましたが、
まさにこのことですね。
人を羨ましいと思う時はその人の裏にある苦労までも受け止めて羨ましいと思えるかどうか、そこが大事で、表側だけ見て思っている限り幸せになれませんよ、ということでした。

絶世の美女に生まれても、その努力なしの正には必ず負が付きまとうのです。
だからこそ、いつも負という努力を先に払うからこそ、
その結果として安心して受け取れる正がやってくる、ということですね。

凡人だからこそ、努力をしなくては何の結果も出やしません。
日々、毎日に思いを込めて、知識ではなく実践で生きていかなければ、と強く思いました。
こんなご時世だからこそ、素晴らしい芸術に触れて人は何のために生きているのか、を再確認したいですね。


話は変わって、美輪様の声ですが、本当に素敵です。
まるで音楽のような話し方ですが、すべてこれも努力のたまものですね。
日本語はカクカクした発音なので、優雅に話すということがなかなか難しいのですが、
意識して綺麗な日本語を話せるようになりたいです。


進み続けること。



今年の桜もそろそろ見納めでしょうか。
毎年目黒川の桜は本当に美事で、一日中その表情を変え、私たちを楽しませてくれます。
この画像では分かりにくいのですが、川面に桜の花びらがとても美しいマーブル模様を描いています。

桜に限らず自然のものはいつまでもこの綺麗な状態を残しておきたい、等と駄々をこねません。
時期が来たらどんなに美しくてもその花を散らせ、淡々とその先のあるべき姿をみて進んでいきます。

人間も本来かくあるべきなのです。
「悩み」の原因は

・自分のありのままを受け入れないこと。
・変わろうとしないこと。
・人と比べること。
・楽をしようとすること。

ここにいきつきます。

「こうなっていきたいのでだけど、なぜその理想の自分になれないのだろうか。」

なりたい自分になるための努力は面倒だし、大変そうだし、できなさそう、でも何とかいい手はないものか。

という上の4つのことを持った心です。

桜にあてはめてみれば簡単です。
「この美しい花を一年中咲かせていたいのです。なぜ咲き続けられないのでしょうか。
葉を出さなければ栄養が取れませんし、一年中花を咲かせていたらエネルギー切れになることは分かっています、でもそこを何とかなりませんか。」

というようなことですね。
美しい花を咲かせたかったら、散ることも大事、葉を出すことも大事、葉の期間は長いけど、その葉を落とすことも大事。

この手順をきちんと踏んでこそ、美事な花が咲かせるのです。
近道や魔法はありません。
自分を受け入れ、自分の足で進みつづけることがよい花を咲かすことができる答えです。

※先日は日中の桜でしたので、今日は夜桜をお楽しみくださいませ。

美にふれること



昨日の目黒川の桜です。
休日ということもあり桜の下、沢山の人たちが宴会をしたり、散歩したり、満開の桜を楽しまれていましたが、皆さんも自然の美にふれることで癒されたり、日本の情緒を感じたり、心を豊かにする時間を大切にしてくださいね。

メシア

スピリチュアル講座も早いもので今日が最終日。
毎日現世で生きていく、ということに真剣に向き合う内容の濃い1週間でした。

いつもお話ししている通り、現世は、自分の魂の濁り(経験不足)を取るための修行の場。
自分の居心地のいい場所を作るのも、働きやすい環境を作るのも、やりがいのある仕事につくのも、もっと言ったらよりよい日本にするのも、より皆を思いやることのできる世界にするのも、誰でもない、自分がその一歩を踏み出すことからです。

誰かが何かをしてくれる、と他力本願で救世主の出現を待ち、その導きにしたがっていけばいいと他人事に思っていればよかった時代はもう2000年以上前のこと。

今は皆さんひとりひとりが救世主という自覚を持って生きていく時代です。

自分の周りにおもわしくない状況がある場合、または自分の思い通りにならないことがやってきた場合、自分のどの部分の学びなのか、自分のどの部分の未熟さを知らせるためなのか、ここを理性でジャッジすることで、自分がどう行動していけば、よい結果が出せるか、がおのずと見えてきます。

自分が変わることで、また良き種を撒くことで小さな一歩であっても必ずそれは芽を出し、花を咲かせ、沢山の実りがあり、次の世代へと受け継がれていきます。

誰かに期待して期待はずれと不平不満を言ういよりも、自分で動く方が確実でおまけに早いもの。
色々な苦痛、苦難、不満は自分を成長させる為のありがたいおしるしです。
自分の行動、気持で世界は変わります。

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