親、友人、パートナー、子、会社の同僚に上司に取引先、そしてよくいくお店。
毎日必ず色々な人との出会いがあります。
その中でも、
なんでこんな目にあうのか、
なんでこんな人がいるのか、
なんでこんなことを言われるのか、
なんでこんな考え方をするのか、
所謂苦難、不幸、納得いかないということがあった時、自分はかわいそう、ついていないと感情でマイナスに捉えたり、相手を非難したりではその経験をした意味がありません。
すべては自分を知るための鏡のようなものなのです。
いいことがあったり、素敵な人に出会った時はうれしいのですが、どうしても人間は嬉しかったこともさっき起こった嫌なことのためにすぐに忘れてしまい、目の前の苦難に目がいきがちです。
だからこそ、嫌な出来事からしっかり学びとることが大事なのです。
それこそ、ただは転ばない。転んでも饅頭つかんで起き上がる、ですね(笑)
嫌だ、という事実を感情で片付けず、理性で捉える癖をつけると、
自分と似ているところが気に入らず、実はそこが嫌だったり、
自分と違いすぎていて腹が立って許せなかったり、
なんとなく自分でも分かっていたことを指摘されたので面白くなかったり、
理由は様々です。(これは波長・カルマ・おしるしでジャッジできますね)
けれどもありがたいことに、このような出来事は不快であるがゆえになかなか忘れず、
だからこそ学びになります。
つまり、周囲の人は自分を映す鏡のような役割をしてくれます。
鏡は三種の神器にもありますが、天照大神の象徴でもあり、魔を祓う力も持ちます。
自分を知り、自分をみる、鏡の中に何が映ったかを冷静に判断すること。
これがすべての出来事に対して正しい判断と対処のできる自分になれます。
鏡は嘘をつきません。
自分の心の中の「魔」を祓いましょう。