邦題:「ぜんぶ、フィデルのせい」予備知識が全くなかった映画だったのですが、フランス語の勉強になったことは勿論のこと、作品としてもとってもよかったです!
時代背景は1970年のフランス。
スペイン人の貴族階級出身の弁護士の父とマリ・クレールの編集者を母に持つブルジョワ階級のミッションスクールに通う9歳の主人公アンナ。
スペインで、フランコ政権に対する反政府運動を行っていた伯父さんが亡くなり、残された伯母さんと従姉妹が一緒に暮らすことになり、それをきっかけに両親がある日いきなり反体制運動に参加し、共産主義に。
今までの生活が一変し、大人の事情に翻弄されつつも彼女らしい人生を歩み始める・・・というお話。
正直、フィデルってだれ?というレベルの私でしたが、あのキューバの国家元首のフィデル・カストロ。言い換えれば、「ぜんぶ、社会主義のせい!」といった感じでしょうか。
ところがこの「せい」ということば。
誰々のせいで、とも取れますが誰々のおかげで、とも取れます。
ネタばれしてしまうと 結果的に「おかげで」の方の意味になるでしょうか。
フランス映画だけに、ファッション、ファブリック、インテリアが素敵なことはもちろん、この主役のアンナ(ニナ・ケルヴェル )の演技が素晴らしく自然で、虜になりました。
前置きがグーッと長くなってしまいましたが、この映画から感じたものは
「自分は自分の魂の成長のために必ず最適な親、環境を選んで生まれてくる」
ということです。
シルバーバーチの言葉を借りれば、
「霊的に見て、あなたにとって何がいちばん望ましいかは、あなた自身には分かりません。もしかしたら、あなたにとって最も嫌なことが、実はあなたの祈りに対する最適の回答であることもありえるのです。」「あなた方が嫌な体験と思っているものが、最高の薬になっていることがあるのです。本当の自分を見出すのは日向の生活の中ではなく、嵐のような生活の中なのです。雷鳴が鳴り響き、雷光がひらめいている時です。」こんな親でなければ、こんな家でなければ、こんな職場でなければ、こんなパートナーでなければ、そして、こんな自分でなければ。
これでは、苦しみが続くだけで出口が見えません。
真っ暗闇の中でもパンドラの箱の中に「希望」があったように、よく目を凝らして見ると、必ずその意味が見えてきます。
9歳の少女にも見えた「希望」を皆さんも是非、見つけてみてください。
暗闇があるからこそ、光を見つけることができ、
暗闇を知っているからこそ、光の素晴らしさ、ありがたさが分かる自分は悪くないですよ。