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  • 2021.08.18 Wednesday
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生きたように死ぬ

5月は本当にバタバタ1ヵ月でした。
というのも、義母の脳に大きな血瘤が見つかり、検査入院の後のカテーテル手術。
脳の血管にコイルを8個も入れる何やら凡人には想像のつかないものでした。
そうこうしていると今後は義理の伯父の脚に動脈瘤が見つかり緊急入院の後、手術。
すっかり血管のことに詳しくなりました(笑)

そういう私も、定休日はお見舞いに、自分の乳腺腫瘍の検査に、前回のMRIで見つかった小さな脳梗塞痕?!と思われる微妙な脳の影の精密検査のためにかかりつけの脳外科に、と病院三昧でした。

ともあれ、30歳を過ぎたらそ30〜40年後の自分の健康を想定して生活をしないと、本当になってからでは遅すぎる、ということを実感せざるをえません。
病気は字の通り、気持から来るもの、また生まれつき今回はこういう人生を歩みたいと決めて宿命として自らが選んだもの(先天性のものなどもそうです)、カルマから来るもの(不摂生したからそこが病む)の3つがありますが、やはり自らの行い、生活からくるカルマの病(肉体の病)は何としてでも避けたいものです。
でないとせっかくのなりたい自分の実現も台無しですね。

ここにきて色々とあったのも、自分にそれを実感させることなのでは、と思います。
人は自分が生きたように、死んでいく、まさにその通りですね。
自分のためでけでなく、周りの人のためにも、自分の体を大事にしていかなければ、ですね。

西の魔女はスピリチュアリスト

今更ながら「西の魔女が死んだ」の映画を観て、改めてなんてスピリチュアリティの高い作品なんだろう、と原作を引っ張り出して読みなおしてみました。

物語の随所に素晴らしい霊的真理に基づいたやり取りがあるのですが、中でも

「魂は身体を持つことによってしか物事を体験できなしし、体験によってしか魂は成長できない」
というおばあちゃんに対して
「魂の成長なんてしなくたっていいじゃないか」
という孫娘におばあちゃんが諭す箇所が素晴らしいです。

「でも、それが魂の本質なんですから、仕方がないのです。
春になったら種から芽が出るように、それが光に向かって伸びていくように、魂は成長したがっているのです」


とこの後も、素敵なお話が続くのですが、大切なことは
「意志の力、自分で決める力、自分で決めたことをやり遂げる力」
とも言っています。
つまり大事なことは人を否定することでもなく、いわゆる常識を押し付けるでもなく
自分を持つこと=責任主体。

勉強的にではなく、感覚としてスピリチュアリズムの入口を覗くことのできる作品です。ご興味のある方はお読みになってみてくださいね。

それにしても、この映画、サチ・パーカーさんの演技と豊かで美しい自然、インテリア、雑貨、食器に至るまでは完璧といっていいくらい原作通りです。
ワイルドストロベリーのジャムや、庭のハーブ、ライフスタイル、すべてが私のなりたい自分と一緒で、自分がいかにオールドファッションなのかも実感しました(笑)
(でも喫煙だけはイタダケマセン!)

余談ですがこのサチ・パーカーさん、あの大女優シャーリー・マクレーンさんの娘さんなのですが、本名はサチコさんとおっしゃってなんとあの「小森のおばちゃま」が命名されたとか。
まだ51歳とお若いのですが、おばあちゃん役が驚くくらい原作のイメージ通りで、つくづく日本にご縁のある方だったのだな、と思いました。


パワーアップ

毎年恒例になりましたスピリチュアル講座。
今年は連続7回受講して参りました。

年々学びも深まり、これからも私自身が、

妄想ではなく、想像力をもって、
知識だけでなく、実践することを第一に、
感情に流されるのではなく、常に理性で判断し、
緒方さんや美輪様の仰る通り、「熱い心と、冷たい頭をもって」

現世を生きていくことでこそ、波長を高めていくことができるのだということを改めて強く実感しました。

聖書のなかに
「弟の目の中のおがくずを取らせてくれ、という兄に対し、
その兄は自分の目の中の丸太に気付かない」
という件がありますが、
まずは自分がスピリチュアリストとして実践して行くことから、ですね。

これからもさらにパワーアップで頑張ります!
*パワーアップ=ショコラ
この法則は私の中で絶対なので、なぜかショコラの画像です(笑)


自己犠牲と自己実現

このところ、ぐっと来る映画がなく、コメントするまでもないものが多かったのですが、先月クリント・イーストウッド主演・監督の「GRAN TORINO」を観ましたが、これはよかったです。
以下、「ネタばれ」していますので、ご注意くださいませ。

正しいことをしていればいつか必ず報われる、
それがままならない現世だからこそ、自分はどうすればいいのか、
そしていろいろな人間がいるからこそ、自分の常識は通用しないこと、
では、その中で自分はどう生きていけばいいのか、等々、観る人の心持ちでいかようにもとらえられる素晴らしいストーリー展開でした。

また、人の心はやはり見えないからこそ、それを表現する「言葉」が大事。
これも強く感じる映画でした。
そして、自分らしく生きる、とは。
残された者にとっては自己犠牲であっても、主人公にとっては自己実現であったように思え、ある意味こういった形でしかできないこともあるのだ、という学びになりました。

そしてこれは映画だけでなく、すべての人に共通することなのですが、
亡くなった人のことを想う時、どうしてあげればよかったんだろうか、悔いが残る、などとよく言いますが、実はあちらの世界から見ている故人としては、残された人たちの考え、思いこそが自分の考えていることなのだ、と思っていることはほぼです。
思い嘆くのではなくて、自分が自分らしく生きていくこと、それが本当の供養にもなりますね。

話は映画に戻りますが、「グラン・トリノ」という名車が後世まで残るように、人の気持ちも残っていく、と思いたい作品でした。 

POLINI GRAND PRIX OF JAPAN

毎年恒例のお楽しみ、「motoGP」。
今年はなんと9年ぶりの春の開催で、初日予選は肌寒い曇り空の下でのフリー走行、2日目はなんと豪雨のために予選中止、決勝の3日目はフリー走行中の豪雨、その後打って変わっての快晴でドライコンディションという何ともめまぐるしいレースウィークでした。

個人的にはレースも大好きなのですが、やっぱり一番の楽しみはパドックで世界のトップレーサーを身近に感じられること。
今年はデビュー以来応援してきたイタリア人ライダーのマルコが目当て。(画像のライダーです)
長年応援してきたフランス人のシルヴァンはイギリススーパーバイクに移籍したので、今年お気に入りライダーはイタリア人ばかり。
フランス語を使う機会もめっきり減り、レース直前にやっつけで覚えたイタリア語でお気に入りライダーを追跡?!してきました。
今年はイタリア語を真剣に覚えないと(爆)

さて、前置きが長くなりましたが、このマルコ、昨年の250cc年間チャンピオンなのですが、今年の開幕戦はケガによる欠場、この2戦もてぎではタイヤトラブル発生で、まるでF1さながらにピットインし、タイヤを交換してレースに戻っての完走となりました。

バイクレースはコンマ何秒、という過酷なものなので、タイヤ交換などしたら間違いなくトップから秒どころか分単位で遅れが出て、上位が狙えないことが容易に想像できます。
けれどもマルコは決してあきらめずに最終周回までプッシュし続けました。

その前向きで真摯なレースに対する気持ちがあってこそ本物のプロ。
気持ちが萎えるとモチベーションも下がり、この先もいい結果は決して出ません。
今の状況を嘆いたり、落ち込んだりすることに意味はありません。
じゃあ、今どうしたらより次につながるか、この経験を無駄にしないためには今どう動くことがいいのか、その先を常に見据える瞬時のジャッジ。
若干22歳のマルコからいろいろと学びのある日本GPでした。

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