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  • 2021.08.18 Wednesday
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想像力がトラブルを回避する

首都高速のようなとっても危険な合流が多い道を運転しているといつも感じるのですが(車を運転しない方、ごめんなさい。想像でお読みくださいね)あ、この先合流しているから車線変更してきそうだな、とか、無茶な車線変更をする人がいそうだから速度を落としておいたほうがいいな、などと先読みして運転をします。
交通ルールとして車線変更禁止になっていたり、急なカーブの先はスピードを落とすなど、常識として当たり前ですが、みんながそれにキチンとしたがうかというと、そうでないために事故が起こるわけです。

つまり、自分はちゃんとやっているから事故にあうはずがない、という保証はゼロです。
常にこの先どうなりそうかと想像して危険を最大限に回避することが無事故の秘訣です。
あくまでも想像力が大事で、妄想力ではありません。想像力は先を予測して的確な判断をして行動すること。
妄想力は事故にあったらどうしようか、とただ恐れたり焦るばかりでいざという時に行動に結びつきません。

これは人間関係、生き方も同じ事です。
自分はちゃんとやっていたのに、といってもチームで行動していたらその理屈は通用しません。相手によってスピードを速めたり緩めたり道を譲ったり、臨機応変な対応ができることが無事故、つまり円滑な人間関係の秘訣です。

想像力にたけている人は決してトラブルを起こしません。
常に渋滞が起こらないようにスムーズに走ることができるからです。
また、迷うことがあっても後続車に迷惑をかけません。

何かがうまくいかないとき、違った方向からちょっとだけ想像してみてください。
渋滞や事故の本当の原因がどこにあるのかが見えてきます。

関心をもつことの大切さ

このところ毎日のように悲惨なニュースが伝えられています。
自分の欲のために、自分がうまくいかないことにいわゆる「キレて」むしゃくしゃして、など、考えられないような一方的な理由で簡単に人の命を奪ってしまう今の世の中。
日本の安全神話は崩れた、今の日本は怖い、と嘆く前に・・・。
なぜこうなったのか。
このマザーの言葉の通りだと思います。

『いまの世の中、人間が人間を見捨てているのよね。
親が子を、子が親を、兄が弟を、友が友を、隣人が隣人を。』

キレるのは自分に対する愛のなさに絶望したとき。
本当の愛を感じていたなら、思いとどまれるはず。
自分は愛されている存在だと分かっていたら、自分を大切に思えたはず。

愛は買い与えることでもなく、自分に都合のいいことでもなく、相手を受け入れること。
ともに支え合うこと。関心を持つこと。

100%の愛でなくても、自分に向けられた愛は必ずかすかでも光を放ち、冷え切った心を温めてくれます。
そんな愛をおしみなく与えられることができれば、その輪は親、友人、知人、地域へとひろがって行きます。
自分を愛してくれている人を愛することはたやすいこと。
まず自分が愛する、関心を持つことから。
ここにも、自分が変われば世界は変わる第一歩があるのです。

闇があるから

闇があるから光の価値がわかる。
孤独があるから、人との触れ合いの温かさがわかる。
病気をしたから、健康のありがたさがわかる・・・・・。
人は苦難を経験しないと、ありがたさが分かりません。
そして苦難を乗り越えた時、初めて自分に自信がもて、その苦難がいかに自分にとって必要なものであったかが理解できます。

ある人は「人は業がるからこそ、徳を積める」というメッセージを守護霊から受け取っています。

自分のここを何とかしたい、ここがどうも嫌、という部分があるからこそ、それを乗り越えて克服できたことに意味があります。
自分の中の闇は光に向かうための大事な一部。
忌み嫌うのではなく、その闇から光に向って歩き出すことに意味があるのです。
立ち止まらずに、進みましょう。
必ず光の中へと自分の力で、自分の足で歩いていくことができます。

否定は苦しみのもと

この画像の猫たち、毛の長い、短い、白い、茶色い、丸顔、三角顔などなどさまざまです。
けれどもみんな同じスコティッシュフォールドという種類の猫です。

人間は人と比べるということをしてしまうので、どうしてもああだったらよかった、何で私だけこうなんだろう、などどないものねだりと隣の芝生の青さが目にしみてうらやましがったりしてしまいます。

猫に例えると長毛なのに、他の二匹が短毛だから短毛のほうがいいんじゃないかなどと思ってみたり、二匹が茶系だから自分の色はいけてないと思い込んでみたり。
または他と同じ事がいや、と茶色をありふれていると嘆いてみたり。

こうであったらいいのに、何でこうじゃないのか、という否定から始まるのが不幸の始まり。
大切なことは、自分を受け入れて伸ばすこと。
受け入れるためには自分の特性をしっかりと見つめ、分析することが大事です。

思うようにできないことには意味があります。
それは、あなたにはほかにすることがあります、または今はそれをする時ではないので、少し待つように、というプラスのメッセージです。
上手くいかないときはやり方が間違っているか、それ以外の道があるということ。
それがわかると自分も他人をも受け入れることができるようになります。

今生において、たましいの思い癖の改善の課題のほかにも今の自分を受け入れて活かそうとしているか、この2つが自分をより輝かせるための「磨き砂」です。(現世ではこれを苦難ということもありますが)恐れず、くじけず、自分のたましいを輝かすためにその磨き砂でもって自分に磨きをかけていきましょう。
それはすべての人に与えられるギフトでもあります。

たましいを磨けるのは経験だけです。
経験を恐れて他のものになろうとしてもそれは「ふり」にしかなりません。
理屈で分かっているつもりでは結局はできないのです。
望んで与えられた現世で生きるチャンスを活かし切りましょう。

櫻のように

目黒川沿いの桜は満開。
強い風に吹かれて花びらが散って川面にマーブル模様を作っていてとても美しいです。
毎年この満開の桜並木を散歩するのが楽しみのひとつですが、1年に1度、ほんの数週間、だだからこそ、価値があるのです。
桜がみんな好きだからと言って1ヶ月以上も咲いていたり、四季咲きしたらありがたみが薄れ、また今度でいいや、と思ってしまいます。
これは人も同じ。

魅力ある人は自分の考えをしっかり持って、人に気に入られるために自分の考えを変えたりしません。
自分がそうしたい、と思った時に行動を起こします。
もちろん人は桜ではありませんから、周囲に合わせることも大切で当たり前のことです。
だけれども、じゃあ友達は、恋愛は、自分の意思で行動することに関しては誰に合わせるの?ということになります。

つまり相手が望む自分を演じなければ、とつい笑顔で対応してしまう。
あとあと面倒な人ならそれでもいいでしょう。
けれども今日は疲れちゃったわ、ということも大切なのです。
いつも朗らかな人であればあるほど、そういった無理して頑張っていないところに人間味があって可愛く見えるものです。
いつも頑張って期待にこたえていると、良かれと思ってがんばっている人に向って「無理するな」とはいえなくなります。頑張りを否定してはいけない、と思いますものね。

期待にこたえることは素晴らしいときもありますが、そこに自分の心があるかどうかが肝心なところです。
無理をして四季咲きして枯れてしまっては意味がありません。
美しい花を短期間年1回。ひとはそれでも待ってくれるものなのです。

加藤諦三さんが興味深いことを書いてらっしゃいました。
愛には悩みがない。
欲が消える。

愛することは待つこと。
花が咲くのを待つ、
夕陽を待つ、
朝日を待つ、
氷が溶けるのを待つ、
それぞれのことをしながら、待つ。

幸せは大股で歩くものではない。
幸せは、こんな小さなこと、というようなことの積み重ね。

今日をきちんと生きているものに未来がある。
明日が来れば、明日は今日になる。
今日をきちんと生きられないものに未来はない。


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