スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

  • 2021.08.18 Wednesday
  • -
  • -
  • -
  • by スポンサードリンク

洋の東西問わず。

我が家でも11月中頃からクリスマスツリーとリースを飾って、今年の一年の締めくくりを迎える用意が整いました。

クリスマスというとヤドリギだったりヒイラギだったりモミの樹のリースだったり、
(クリスマスにヤドリギをつるしてその下でキスをしてよい、という習慣がありますが、そういえば映画「ラブ・アクチュアリー」でも「ヤドリギの下で待つ」という台詞がありましたね。こういった文化の背景を知っていると、話の流れも腑に落ちますよね)
いろいろですが我が家はツリーにはドイツトウヒを飾っています。
その名のとおりドイツからドイツトウヒ(モミの樹もありますね)のツリーを飾る風習が広まったようです。

一番高い場所に飾る星はベツレヘムの星とも呼ばれ、キリスト生誕時に賢者を導いた星とされ、希望や導きを表すそうです。
そのほかにもキャンドル(現代ではイルミネーションですね)この世を照らす光、杖は羊飼いの杖で、羊飼いたちがこの杖を使って羊の群れを導くことから羊飼いのパートナー、つまり助け合いを意味するとか。
ベルもキリストの誕生を伝える道具、そして音魂を宿す「魔除」の意味もあるようです。
ちょっとあげただけでも本当に面白いですよね。
意味を知って飾ると楽しみも倍になります。

さらの面白いことに西洋のこの文化も日本に置き換えるとツリーは門松、リースはしめ飾りですね。常緑樹に永遠の生命力を、リースやしめ飾りは魔除や招福の目印として玄関に飾る。宗教や文化は違えどもやはり真理はひとつなのだと実感します。

見た目にも楽しめてもちろん意味のあるこの行事。
ワクワクしながら神様を感じたり、なにか素敵な奇跡が起きそうな期待をしたり、高い波長でこの歳の終わりと新しい歳を迎えるのが、毎年この時期のお楽しみでもあります。

JUGEMテーマ:クリスマス

家宝かゴミか?

昨日26日は私の誕生日でした。
メッセージをお送りいただいた皆様、この場をお借りして、心からお礼申し上げます。

さて、自分が成長せずとも歳は決まってとるもので恐ろしい〜と思わずにはいられないのですが、日々意味無く過ごしてしまったら、歳とともにみるみる衰え、邪魔扱いの「粗大ゴミ」になってしまいますが、美輪様もおっしゃるように歳をとったならそれなりの経験を積み、価値ある「アンティーク家具」のようになればいいのだ、と常々私も自分に言い聞かせています。

とはいえアンティーク家具への道のりは険しく、まずはよい素材で、手を抜かずしっかり組み立てることからです。
その後は素材に合った手入れをして、大切に使う、などなど、いい素材でつくったからといって油断していてはこれもまた粗大ゴミまっしぐらです。

今回の誕生日を機に改めて思ったことは私がよくカウンセリングの中でもお話させていただいておりますが、自分の魂の濁りに気付き、それを取り除くことを大切にしていくということです。
どうして今、自分はこういう経験をしているのか、こういう思いをしているのか、
特に自分にとって辛いこと、思わしくないことがあるたびに深く考えるようにしています。
そうすることによって自分の濁りがはっきりと見えてきます。

人間、心臓が止まり現世での魂の修行を終えるまで日々前進。
無駄な日はたった一日たりともありません。
恐れず経験、恐れず進む、日々の出来事や出会った人々から学び、さらに魂を輝かせていく努力。日々、気持ちを込めて生きてゆきたいものです。

アンティーク家具へたどり着くにはまだまだ遠い道のりです。がんばらねば!

JUGEMテーマ:日記・一般

正しい自己犠牲

未だ11月とはいえ、年々クリスマス商戦が早くなり、街はすっかりクリスマスモードですが、この季節になると私が必ず思い出すのは『The Gift of the Magi.』日本語では『賢者の贈り物』、このお話です。新約聖書の東方の聖者がキリストの誕生祝いに贈り物を持って来た話がベースにあるそうです。

私の母はクリスチャンではありませんが、この時期になると子供の頃この話を母が私にしてくれたことを思い出します。
皆さんもご存知のとおり、貧しい夫婦がクリスマスに互いにプレゼントを贈ろうと思ってもお金が無く、妻は自慢の髪を売り夫の金時計の鎖を買い、夫は髪の美しい妻のために代々伝わる大切な金時計を売って妻がずっと憧れていた櫛を買う。
もちろん髪と金時計を手放してしまった今の二人には用無しの贈り物だけれども、二人は自己犠牲によって互いを思いやるというこの世で一番素晴らしい贈り物を贈りあった、という話。

日本のクリスマスはすっかり高価なプレゼントや素敵なホテルに宿泊したり、バブルの頃などは彼女に指定された某有名宝飾品ブランドの商品が売切れのため、そのお店に売り切れ証明を出してほしい、でないと自分が疑われる!!なんていう彼氏の逸話もありましたが、若い頃はとかくそういった価値観に流されがちですし、特別で素敵な一日にしたい気持ちも十分理解できます。

けれども相手が恋人であれ、家族であれ、自分が相手を思い、相手が自分を思う、その気持ちは何よりも幸せで恵まれていて素晴らしいことです。

また特定の人ではなく、相手が世界のどこかの誰かであれ、自分が誰かの幸せを願い、その思いが奇跡なってその不特定の誰かを幸せにしているかもしれません。寄付やボランティアなどがその代表ですね。

静かに誰かの幸せを祈るのも素敵な賢者の贈り物のひとつだと私は思います。

JUGEMテーマ:日記・一般

皇大神宮(内宮)

伊勢2日目。
空気が澄み気持ちのよい朝となりました。
こちらはいわずと知れた日本の神様、天照大御神(あまてらすおおみかみ)をお祀りしています。
こちらではまず手水舎で清めたあと、さらに五十鈴川の河岸の御手洗場(みたらし)で手を洗います。
今の時期は紅葉が美しく、澄んだ川の底に落ち葉が漂い、とても美しいです。
また、このあたりは美しい鶏たちが放し飼いされていて、なんともほのぼのした雰囲気を味わえます。



そして私がとても不思議な体験をしたのは風日祈宮(かざひのみのみや)です。
ここはその宮の名のとおり、特に風雨を掌られると伝える神、級長津彦命(しなつひこのみこと)と級長戸辺命(しなとべのみこと)が祀られています。
そして私が龍神系だからでしょうか、この宮の入り口から進むにつれて歩む速度とともに風が吹き、まるで早くいらっしゃいとばかりに風が後押しするのです。とてもやわらかい感じで、気持ちがすっきりとして、さわやかな感じがしました。

そしていよいよ石の階段をのぼり御正宮へ。
大きな杉の木に囲まれ今までのどの宮とも違ってたくさんの人々が参拝しています。
4重の垣根に囲まれ、日本の神としてどんと構えている女神といったところでしょうか。
それとは対照的に天照大御神の荒御魂を祀っている「荒祭宮」は簡単には人を寄せ付けない張り詰めた空気が流れていますが、いかにも女性らしい頼もしさ、力強さ、そしてやさしさを持っています。

このほかの宮も皆それぞれ個性があり、宮に祀られている神のことを知った上で参拝するとまたその気持ちも変わってきます。
この国に住まわせていただいているかぎり、是非一度は訪れたい宮ではないでしょうか。


また、内宮といえば「おかげ横丁」
こちらを散策するのもお伊勢参りの醍醐味。
中でも私のお気に入りはお香の専門店の「くつろぎや」さん。
香を利く個室もあり、お気に入りの香を探せます。中でも桜、水のお香はお勧めの一品。
他ではない本物の香りにうっとりです。

あっという間の2日間でしたが、浄化とパワーチャージの素晴らしい2日になりました。
皆様最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

豊受大神宮(外宮)

いよいよ外宮へ参ります。
と、その前に腹ごしらえです(苦笑)
正直、伊勢市駅周辺、外宮近辺はお店がありません。これには参りました(涙)
困ったときの観光案内所!ということでこちらのご婦人にたずねたところ、おいしいと評判の「伊勢うどん」のお店を教えていただきました。
とても丁寧にすぐ近くの交差点までご案内いただき、本当に助かりました。
そのお店が「中むら」さんです。
太くてもっちりとしたおうどんで、この日は汗ばむほどの陽気でしたので、冷やしの定食をいただきましたが、後日調べたところ、カレーうどんがお勧めのようです。
次回は是非こちらも食してみようと思います♪

さて、おなかも満たされ、豊受大御神(とようけのおおみかみ)をお祀りする外宮へ。
こちらの神様は神々にたてまつる食物をつかさどられいることから、(「うけ」食物のことなんですね〜)とは衣食住、ひろく産業の守護神としてあがめられています。
またこちらも御正殿のほかに荒御霊をまつる多賀宮、風宮、土宮などがあります。
今までの別宮とはちがい、野性味が無くなんとなく穏やかで人工的な感じの場所なのですが、個人的には多賀宮のパワーを強く感じました。

ここで番外編ですが、外宮を出て月夜見宮近くに「世古」と呼ばれる細い入り組んだ道が多くある場所があります。何でも名前の由来は『セ・・・「狭い」、コ・・・「処」、すなわち「狭処」』だとか。
迷子気分で古い木造建築の家々の間をめぐるのも違った楽しみがあります。
画像はその近辺のお店。

明日は最後、皇大神宮(内宮)へつづきます
JUGEMテーマ:旅行

月讀宮 倭姫宮 月夜見宮

月讀宮は私にが一番訪れたかった宮で、こちらでは

月讀尊(つきよみのみこと)
月讀尊荒御魂(つきよみのみことのあらみたま)
伊佐奈岐宮(いざなぎのみや)
伊佐奈弥宮(いざなみのみや)

を祀っています。
月夜見尊は天照大神の弟神であり、ここの宮は天照大神の魂を祭神とする荒祭宮(あらまつりのみや)に次ぐ順位で、内宮宮域外の別宮としては最高位の別宮であるそうです。
確かに天照、月読の両親である伊佐奈岐、伊佐奈弥も祀られているということですから、これは親子揃っての場でもあり、特別ですね。
私はなぜかこの宮に以前から惹かれるものがあり、お伊勢参りというよりは月讀宮に行かねば、というような思いがありました。

宮のある森は派手さは無いものの、なんともいえないご神気が漂い、手水舎も画像のとおりの素晴らしい場所に位置してます。
空気も宮の森に入る前とはまったく違って体が軽く感じられるようになり、毒素が抜けるような感覚がありました。
不思議なことにこちらで手水をしたときに、目黒のお不動さんでいつもしているようにブレスレットも清めさせていただいたのですが、清めた後着けてみるとビリビリするような力強いパワーを感じ、ブレスの石が完全に浄化され、パワーチャージをしたことがわかりました。
こちらでは鳥のさえずりを聞きながら自分の体と森を一体化させるような気持ちでゆっくりされることをお勧めします。

また、こちらの宮は月讀尊と月讀尊荒御魂がありますが、荒御霊に関して宮司さんにたずねたところ、神様の御魂のおだやかなお姿を「和魂(にぎみたま)」というのに対し、時に臨んで格別に顕著な御神威を顕す御魂の働きを「荒御魂」と称えて言うそうです。
お札などもこのように2種類あるので、ご自分の必要に応じて求められると良いでしょう。

そしてこちらは倭姫宮の参道入り口です。
こちらでは「倭姫命(やまとひめのみこと)」が祀られています。
倭姫命自体が、天照大神の「御杖代(みつえしろ、神の意を受ける依代)」今で言えばシャーマン、巫女さんなど捉えても良いかもしれません。
面白いことに倭姫命は邪馬台国の卑弥呼とされることもあるそうです。
そのためかこちらはかなり穏やかな感じで、無私の心のなせる業かやわらかなエネルギーが漂っていました。

そしてこちらは月夜見宮。
先の月讀宮と同じく月夜見尊、月夜見尊荒御魂を祀っていますが、同じ宮に祀られ、なぜか字が違うのです。こちらでは月夜見尊と表記されています。
宮の左手には雷が落ちて内側が焼けこげたご神木があり、その中の石にはなにやら人の顔のようなものがみえ、見る角度により笑っているような、しょげているような表情が見て取れました。
月讀宮ほどのご神気は感じず、もうすこし身近な感じがしました。

外宮へ続きます。
JUGEMテーマ:旅行

伊勢参り 猿田彦神社

1日目
猿田彦神社→月讀宮→倭姫宮→月夜見宮→豊受大神宮(外宮)
2日目
皇大神宮(内宮)
上記ゆっくり日程で念願のお伊勢参りでしたが無事に帰郷しました。
今回のメインはなんと言っても『月讀宮』に行くこと。長年憧れの場所だっただけに、感慨もひとしおでした。
まずはお伊勢さんの露払いとも言える「猿田彦神社」からスタートです。
祀られている猿田彦大神は『ものごとの最初に御出現になり万事最も善い方へ“おみちび き”になる大神』ということで、まさにスタートにふさわしい場所です。
拝殿中央には「方位石」があり、方位除の御神徳を仰ぐ当神社にちなんだものだとか。
ここからも「お導き」というキーワードを感じさせます。


そして境内には「佐瑠女神社」があり、あの天照さんが天岩窟に隠れた際に天宇受売命(あめのうずめのみこと)が岩戸の前で神楽をされて、岩戸を開かせた女神が祀られています。
そのため、芸能関係の方にはとてもよい導きになるそうです。
私はもっぱら良縁(人間関係)をお願いしてまいりました。


ここでお札の祀り方ですが、
神棚や家の柱、門口など(清浄で明るい箇所)の高い位置に南または東向きにおまつりし、階下にまつる際は2階で人がいる場合、人の足下にならない箇所を選んでください。
また数枚のお札を並べる際は向かって中央が最上位、ついで右側、左側となります。

つづく・・・・

いよいよ伊勢です。

いよいよ明日お伊勢さんに参ります。
ということで今日は先日の産土神社に引き続き、地元の氏神様へ。
私の住んでいる場所の氏神様はこの写真の大鳥神社。
こちらは日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が主祭神で、彼の死後、その御霊が白鳥となって飛んでいき、その御霊を鳥明神として祀ったそうです。
どうも日本武尊というと闘い、武力、がつきまとうからでしょうか、どことなくしっくり来ないので、正直目黒では私はお不動様のお世話になっているわけですね(苦笑)
大鳥さんは新年のご挨拶にしか行かないのですが、これを機にこの土地に住まわせていただいている以上、地元の神様にもマメにご挨拶しなければ、と思いました。

さて、明日は3時半起き、今日は早めに休んで明日に備えます!

JUGEMテーマ:日記・一般



産土神社

今回の帰省の目的のひとつに産土神社へのお参りがありました。というのも来週のお伊勢参りのための準備だからですね。(笑)
まずは産土神社にお参り、そのあと今現在住んでいる場所の氏神様、それからお伊勢さんへのお参り、です。知らなければ知らないで問題ないかと思いますが、確かに納得のいくことなので、順を追ってお参りしていくうちについに念願のお伊勢さんなのだわ、と気持ちも引き締まります。

私の産土神社は加茂神社という画像の小さな神社です。(やっと歩けるようになった位の頃、母に連れられて遊びに来たことがあるようですが、秋の斜めにさす夕陽に照らされてほんのりとオレンジ色に染まっているこのかやぶき屋根の記憶があるようなないような・・・)
祭神は、玉依比売命(たまよりひめのみこと)を祀っているそうで、古事記や日本書紀などに書かれいろいろ解釈がありますが、「タマヨリ」=「神霊の依り代」つまり神霊の依り代となる女、すなわち巫女のこととなる、というのが一番しっくりくるような気がします。

ともあれ、やっと「よばれた」念願のお伊勢参り。
浄化とパワーチャージをテーマに今から準備でございます(笑)


無教会

8,9と1泊2日で年2回が恒例の帰省をしてきました。
今回は温泉宿でなく気分を変えて軽井沢のホテルで快適で素敵なひと時をすごしました。
そして何度も行っている軽井沢ですが画像の素敵な教会を見つけました。
「石の教会・内村鑑三記念堂」です。

内村鑑三といえば教育者でもあり、文学者でもあり、そして敬虔なキリスト教信者としても知られていますが、「無教会」を唱えたことでも有名です。

 「教会があってはならないということではない。
  ただ、教会が組織や制度になったとき、
  それはすでに本当の教会ではない。
  祈りたいと願う人が、自由に集う場所。
  温かな休憩所である。家庭のような場所。
  たとえ不完全であっても、
  教会とは本来そんな場所ではなかっただろうか。」


まさにこの言葉通りの素晴らしい教会です。
ケンドリック・バンクス・ケロッグという旧帝国ホテルを建築したあのフランク・ロイド・ライトの弟子の作品で、天地創造の5大要素、石、光、緑、水、木がともに隣り合い、美しく、彼曰く自然とともに生きる有機的(オーガニック)な空間です。

無教会に戻りますが、この意見に私は大賛成で、神が何であるかと仮定したり、呼名をつけたりする必要はなく、あくまでも自分の中にあればよいものだと思っています。
神の名の下に人々が集い、助け合い、喜び合うことは確かに素敵ですが、その神の違いを責め合い、互いの違いを認めず闘うためであったなら、まったく意味を成しません。
そういった人の違いを受け入れない思想は戦争の始まりです。

名前や儀式や思想のおしつけでなく、あくまでも人のこころが主役。
物事の本質を見極めようとするその姿勢が大事であるということですね。


| 1/2PAGES | >>

calendar

S M T W T F S
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
252627282930 
<< November 2007 >>

selected entries

categories

archives

recent comment

links

profile

search this site.

sponsored links

others

mobile

qrcode