スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

  • 2021.08.18 Wednesday
  • -
  • -
  • -
  • by スポンサードリンク

Patience et longueur de temps.(短気は損気)

個人的に素晴らしい人だと思っている人のメッセージで、
怒りは不毛。
波長を下げ、健康を害するだけ。

とありました。
この世は波長とカルマでできています。
つまり、いいことも悪いことも自分の中にある何かを示されているのか、自分も実は同じことをしていませんか、というおしるしなのか、そこに気付くところに意味があります。
自分が間違っていない、と思うとどうしても「なんでこんなことになるのだろうか」とか「なんで私がこんな目に」と相手の非をつきたくなるのが人情ですが、そこで自分がどう感じ、どう変わるかによって自分の成長度合いが変わってきます。
よく、あの時は本当に辛かったけれど、なんとかその辛さを乗り越え、その経験があったから今の自分がある、と思えることが全ての人に少なからずあるかと思います。

現世はワークアウトと同じ。
辛くて、厳しくて、くじけそうになっても、やり遂げてやっと健康で理想の体が手に入る。けれども油断したらまた逆もどり。
たましいにも厳しい負荷をかけなければ磨かれないわけですね。
否定することは逃げ。自分なりに消化してそれすらも肥やしにしてしまいきましょう!


今日に限って暑い(涙)

今日は嬉しいことにぽっこりと空きができたので、カルジェルをやりにネイルサロンへ。その後週末お仕事で選挙にいけないのではじめて「期日前投票」なるものにいって来ました。
勝手がわからないので、こそ〜っといってみたのですが、係りの人に誘導されるまま、宣誓書(何故当日来れないのかなどの理由を記入しました)を書き、次はこれ、次はこれ、といわれるままに無事終了しました。
6時を過ぎていましたが、投票に来る人が途絶えることがなく、思ったよりも沢山の人がこのシステムを利用していることに驚きました。
何時だったかニュース番組で、永田町の常識は国民の非常識、というようなことをいっていましたが、今回ばかりは政府にもの申したい、という方々も多いのではないかと思われます。
私もしっかり意思表示してきました(笑)

それにしても、あれやこれややろうとした日に限って、猛暑・・・。
強い日差しの中、のこのこ出歩いたので、早速紫外線アレルギーでぶつぶつが出てきちゃいました。
やはりこの季節は何でも日没後にするしかないようですなぁ〜。
私は引きこもり大好きなので、外にでれないことが苦にならないので、それもどうかと思われるのですが、今日投票に行く道すがら、桜並木に蝉の声が響いてなかなか素敵でした。
たまには夏の夕暮れ散歩もいいものです。

LA TRAVERSEE DU TEMPS

今日はただのヲタネタです。(爆)
何時いってもレンタルの棚に何十枚もあるDVDケースが空っぽだったアニメ「時をかける少女」。偶然にもつい先日地上波でも放映されたそうですが(苦笑)やっと借りて観ることができました。

面白いことに、作品中にはン十年前に原田知世ちゃん主演でつくられた「時をかける少女」の作品中で演じた「芳山和子」が今回のヒロイン真琴の叔母としてでているのです。
その和子は未だ深町君を思いつづけている、という設定が昭和世代の我々にはたまらないのですが、残念なことに声は知世ちゃんじゃないのですよね〜。

話の展開はさておき、この作品、夏の空や入道雲、強い日差し、そしてこの頃しか感じることのできない感情に任せて突っ走ったり、そして失敗して、泣いて、それでもまた起き上がって歩きはじめて、今という時間が永遠に続くような、怖いものが何もないそんな誰もが通り過ぎる大人でもなく、子供でもない未熟だけれども一番輝いているひと時を抜き出したような作品です。

観ていて自分も確かに通ったのだけれども、もう振り返ることがなくなった青春の1コマを疑似体験できるようなすがすがしく、見終わった後の爽快感と胸を締め付けるような切なさはなんともいえません。
今を生き抜き、それがつながり未来になる。でもそれは誰にもとめることはできない。
あの時自分の気持ちを伝えておけば、あの時こうしていたら・・・観る人の心にしまわれた「あの時」を思い出しながらいろいろなメッセージを感じ取れる作品です。

そういえば、この映画の監督細田守氏はLouis Vuittonが村上隆氏とコラボした際に(LVパンダの素敵な作品です)プロモアニメの監督をされていた方です。
実はワタクシ、このヴィトンの"Superflat Monogram"も大好きで、
こじつけっぽいのですが、現実世界に引き戻されたなんともいえない寂寥感が両作品共通しているのかな、と思います。そしてこの感じがたまらなくすきなのです。
なんだかもう二度とは戻らない大切な何か、それは人それぞれ違うのだけれども、その「何か」を思い起こすことができるせつなさというかがたまりません。

画像は今月4日に公開されたフランス判のポスター。
フランス字幕版観たいです〜♪。

幸せの定義

幸せと一言で言っても、勿論その形は人それぞれ。
なりたい自分になること。
それは理想の仕事に就くこと、
家族を持つこと、
留学すること、
家庭に入って家族を守ること、
仕事で成功すること、
いろいろな形があります。
けれども、その幸せは欲張ってはいけません。

休みも欲しいけど出世もしたい、
結婚したいけど、もっといい人がいたらどうしよう、
子供ができたけど、私はこれで終わってしまうの、
留学したいけど、お化粧もお洋服も大好き、
だって、あの人はこれもあれも手に入れている、
こんなとことが羨ましい、あのお家はこんななんですって、
あそこのご主人はああなんですって、
などと人と比べていては何時までたっても本当の幸せは見つかりませんし、満たされません。

留学したいのであれば、勉強したり資金を貯めるために、お友達とのグルメやおしゃれは我慢しなければなりません。
家族での旅行や子供と遊ぶなど、家庭を大事にしてくれるご主人が良ければ会社での出世はまず無理でしょう。
子供が欲しかったら、自分の自由の時間はなくなって当然です。

今私はこうあることが幸せ、だからこちらに関しては今は必要ない、
と今何が一番大切なのかを常に確かめればいいのです。

これは極端な話、病気でもそう。
私は病気で働けない、こんなこと悩まずにのらりくらり働いている人もいるのに、、、。
働けるのに、怠けている人もいるのに、、、。

私は病気だから働けない、けれども寝たきりのわけではない。
今しかできないことをしておく時間だ。
働けないけど、今しかできないことを働ける時が、人の役に立つ時がきたときのために
今しておかなければ。

自分の今の幸せの価値をどこに置くのか、
人と比べず、あくまでも自分はどうなのか、

必要なものを取り入れ、必要のないものを捨てる勇気。
その勇気が自分の人生を何倍も有意義で幸せにあふれたものにしてくれます。

幸せの基準は人並みに何でも体験して安心するものではなく、
自分を見つめ知ること。
自分には何が必要で大切なのか。
決して惑わされないこと。それが幸せへの第一歩です。

礼儀

この秋ようやく念願のお伊勢参りが実現できそうです。
何は無くとも月讀宮参拝ははずせません。
今からどのルートで行こうかなどと考えているのですが、その前に神様に対する礼儀として産土の神様と今住むところの氏神様へのご挨拶があります。
神様とて人間と一緒。いきなりお伊勢さんでは、社長の前に出るために、その脇の役員を無視して通り過ぎるようなもの。順番がちがうだろ、と失礼極まりない訳ですね。
ということで、秋の入りに実家に行った時にでも産土神社にご挨拶に行ってこようと思います。
秋は私の一番好きな季節ですし、日本の情緒にどっぷりつかろうと今から(笑)思案中です。


お大事に

新潟、長野の地震災害に遭われた皆様、一日も早い復旧を心からお祈りいたします。

実は私の実家が長野市なので、今日の地震の報道では聞き覚えのある町名が出てきて、おまけに震度6強ということですぐに両親に電話を入れました。
幸いにも長野市内は揺れ以外たいしたことはなかったようですが、家々の周りには古いブロック塀などが多々あるので、余震の際に心配です。
また新潟の被害の大きな地域ではお年寄りなどが電気もガスも復旧しないおうちで不安な夜を過ごしているのかと思うと、心が痛みます。

とにかく今、私にすぐできることは祈ること。
復旧作業の方も必死で頑張ってくれていることと思います。
被害に遭われている方々も、復旧に尽力している方々も皆さんの心の癒しがありますように。
互いの感謝の心がより暖かいものとなって本当の力になりますように。


熱帯低気圧

台風がやっと列島を抜けたようですが、台風といえば低気圧。
この低気圧が曲者で、この時期だけは片頭痛がやってきます。
何でも脳の血管が気圧が低くなることによってむくみ片頭痛が起こりやすくなるとか。
その他にもプラスイオンが増えて新陳代謝が下がる、
副交感神経優位になってリンパ球が増えリンパ球の炎症が増える、
気圧変動がストレスとなり身体が防御反応を起こす、
などなどの諸説(臨床データもあるそうですが)があります。
現に私の知人でも低気圧の日はどうにも体がだるい、とか関節が痛くなる、気分が落ち込むなどの症状をよく耳にします。

だたでさえ、体調の優れない時だけにアロマやお香や素敵な音楽などをかけて気分をリラックスさせたいですね。
植物などをお部屋に置いて癒されるのもいいですね。
科学的な低気圧対処法としては02リフレ(酸素カプセル)が効くらしいのですが、(まさに加圧ですね〜)今度試しに行ってみようかと思っています。

ただでさえストレスのたまりやすい現代社会を生き抜かなければならないのですから、より過ごしやすい生活を心がけたいものです。


大我で生きる人

かねてから楽しみにしていた鎌田實先生の講演会に行ってきました。
先生は「がんばらない」などの著書や、チェルノブイリやイラクの子供たちへの医療支援と医師団の派遣などでも知られていますが、現在名誉医院長である諏訪中央病院に根を下ろしたばかりのころは累積赤字4億円の傾くどころか虫の息の病院をご自身の信念を突き詰め、地域の人々の健康に対する意識までも変えたなかなかのお人です。

テーマは健康に長生きするための秘訣、(どうりで聴講者の平均年齢が高いはず:(笑))
病院は、医者はどうあるべきかという先生と患者さんのやり取り、(涙なくしては拝聴できませんでした)
ホスピタリティとは、
家族の絆の大切さ、
などでした。
中でもホスピタリティについては若い私たちにもとても役に立つ話で、
ホスピタリティ=おもてなしの心
これはどうせここどまりだろうという常識をこえて、こんなことまでやってもらえるんだ、と人の常識を越えた時に人は感動し、感謝し、その感動を人に伝え、結局成功に導いてくれるという、仕事だけでなく、人生を成功させるコツというまさに大我で生きるお話でした。
人にどこまでつくせるか、病院として何ができるか。
例を挙げればフレンチレストランをやっていた末期の女性がん患者さんに、ホスピスのキッチンでボランティアの方に指導をしつつフランス料理をつくらせてあげたり、普通の病院とは全く異なった患者の本当に望むことを提供しているのですね。
人は自分がどんな状況にあろうが、誰かの役に立ちたい、自分の生きた証を残したい、と思うもの。
一度きりの人生だからこそ、悔いないように行き抜く、本当にうなづく事ばかりのすばらしい内容でした。
家族の絆のお話では、心臓病のお母さんにタクシーを1日15時間も運転してなんとか心臓の手術代を捻出しようと身を粉にして働いたお父さん。頑固であまり触れ合う時間も無く、どちらかといえば苦手だったとはいえ、母の全てを受け入れてくれる愛によってまっすぐに育った先生。後にはご自身が実はご両親の実子でなく、拾われた子であったことや、時代的にまだまだ拾った子供を育てていこうとする人がいたことや、近所での助け合いがあったこと、など、戦後の東京はまだまだこういった助けいあり、知らないもの同士でも誰かの愛を受け、生きている、だからこそ争いや報復の復讐の連鎖をするのではなく、あたたかい心の連鎖をしていくことこそに意味がある話など、ここにもまた一人、本当に大我で生きてらっしゃる方がいて、その波長の輪が広がっているのだな、と実感し、とても充実したひと時を過ごすことができました。
著書もなかなかよさそうなので、時間を見つけて読んでみようと思います。

さて、話は変わりますが九州方面にお住まいの皆様、台風が猛威を振るっています。
くれぐれもお気をつけくださいませ。
早く勢力が弱まるように祈るばかりです。
皆様がご無事でありますように。


たましいのメッセージ

だいぶ日がたってしまいましたが、月初めの日曜は今年5回目のスピリチュアル講座でした。
テーマは「病気とヒーリング」
何故人は病気になるのか、を学びました。
病気になることを不幸だとか悪いことと考えるのは物質的価値観でなにごとも見ている証拠。
先天的な病気は魂に負荷をかけ自分の魂を鍛えること。
後天的な病気には自分の思い癖や生活習慣など、全てには意味があります。
いずれにせよ、自分をいう人間を知るためにこの物質世界でしか経験できないのが病気です。
私自身も子供の頃は体が弱く(今からは信じられませんが:(爆))大人になってから普通にお勤めができないかもしれない、と医者にいわれていましたし、幼稚園は半分もいけませんでした。小学校も低学年の間は必ず週末に体力が弱って発熱して、月に必ず何日か休んでいました。

けれどもこの経験があったおかげで、私は健康のありがたさを子供の頃から実感しましたし、気力があっても体がついていかないことがある(気合ではどうにもならないことがある)ことも小さなうちから知りました。
今思えば、この時期があったからこそ、毎日元気に学校へ通えることのありがたさ、元気なことは当たり前のことでなく、恵まれていることなのだと思うようになりました。

また、病気が治らない時、これはどうあがいても仕方がありません。
けれども、2通りの人間がいることを知りました。
自分が病気であることを嘆き、恨み、心を閉ざす人。
自分の病気を受け入れてそこから自分らしさを探して前向きに生きようとする人。

往々にして、病院で出会う優しい人は自分の病気を受け入れ、自分にできることはないか、と辛いながらにも人の回復を願う心のあたたかい人ばかりでした。
たいした病気や怪我でなくとも、何で自分がこんな目に、とそこから抜け出せないひとはいつもイライラしていて、まるで自分で自分の回復を遅らせているようでした。

物理的な治療も大切ですが、心の治療が何よりも大切です。
結局心が治っていなければまた病気は再発します。
どうしてこの病気になったのか、そこから必ず学びや気付きがあります。

星に願いを

私の好きな太宰治の著書に「作家の手帖」があります。
初めて読んだのは随分昔のことですが、この時期になると必ず思い出し、なんだか胸が熱くなります。日本人の美しい心、思いやり、夏の情緒、何をとっても太宰の素晴らしい表現力で描かれています。
せっかくですので、この情緒を感じてみてください。

ことしの七夕は、例年になく心にしみた。七夕は女の子のお祭である。女の子が、織機のわざをはじめ、お針など、すべて手芸に巧みになるように織女星にお祈りをする宵である。
支那に於いては棹の端に五色の糸をかけてお祭りをするのだそうであるが、日本では、藪から切って来たばかりの青い葉のついた竹に五色の紙を吊り下げて、それを門口に立てるのである。竹の小枝に結びつけられてある色紙には、女の子の秘めたお祈りの言葉が、たどたどしい文字で書きしたためられていることもある。七、八年も昔の事であるが、私は上州の谷川温泉へ行き、その頃いろいろ苦しい事があって、その山上の温泉にもいたたまらず、山の麓の水上町へぼんやり歩いて降りて来て、橋を渡って町へはいると、町は七夕、赤、黄、緑の色紙が、竹の葉蔭にそよいでいて、ああ、みんなつつましく生きていると、一瞬、私も、よみがえった思いをした。あの七夕は、いまでも色濃く、あざやかに覚えているが、それから数年、私は七夕の、あの竹の飾りを見ない。いやいや、毎年、見ているのであろうが、私の心にしみた事は無かった。それが、どういうわけか、ことしは三鷹の町のところどころに立てられてある七夕の竹の飾りが、むしょうに眼にしみて仕方がなかった。それで、七夕とは一体、どういう意味のお祭りなのか更にくわしく知りたくさえなって来て、二つ三つの辞書をひいて調べてみた。けれども、どの辞書にも、「手工の巧みならん事を祈るお祭り」という事だけしか出ていなかった。これだけでは、私には不足なのだ。もう一つ、もっと大事な意味があったように、私は子供の頃から聞かされていた。この夜は、牽牛星と織女星が、一年にいちどの逢う瀬をたのしむ夜だった筈ではないか。私は、子供の頃には、あの竹に色紙をつるしたお飾りも、牽牛織女のお二人に対してその夜のおよろこびを申し上げるしるしではなかろうかとさえ思っていたものである。牽牛織女のおめでたを、下界で慶祝するお祭りであろうと思っていたのだが、それが後になって、女の子が、お習字やお針が上手になるようにお祈りする夜なので、あの竹のお飾りも、そのお願いのためのお供えであるという事を聞かされて、変な気がした。女の子って、実に抜け目が無く、自分の事ばかり考えて、ちゃっかりしているものだと思った。織女さまのおよろこびに附け込んで、自分たちの願いをきいてもらおうと計画するなど、まことに実利的で、ずるいと思った。だいいち、それでは織女星に気の毒である。一年にいちどの逢う瀬をたのしもうとしている夜に、下界からわいわい陳情が殺到しては、せっかくの一夜も、めちゃ苦茶になってしまうだろうに。けれども、織女星も、その夜はご自分にも、よい事のある一夜なのだから、仕方なく下界の女の子たちの願いを聞きいれてやらざるを得ないだろう。女の子たちは、そんな織女星の弱味に附け込んで遠慮会釈もなく、どしどし願いを申し出るのだ。ああ、女は、幼少にして既にこのように厚かましい。けれども、男の子は、そんな事はしない。織女が、少からずはにかんでいる夜に、慾張った願いなどするものではないと、ちゃんと礼節を心得ている。現に私などは、幼少の頃から、七夕の夜には空を見上げる事をさえ遠慮していた。そうして、どうか風雨のさわりもなく、たのしく一夜をお過しなさるようにと、小さい胸の中で念じていたものだ。恋人同志が一年にいちど相逢う姿を、遠目鏡などで眺めるのは、実に失礼な、また露骨な下品な態度だと思っていた。とても恥ずかしくて、望見出来るものではない。
 そんな事を考えながら七夕の町を歩いていたら、ふいとこんな小説を書きたくなった。毎年いちど七夕の夜にだけ逢おうという約束をしている下界の恋人同志の事を書いてみたらどうだろう。或いは何かつらい事情があって、別居している夫婦でもよい。その夜は女の家の門口に、あの色紙の結びつけられた竹のお飾りが立てられている。
 いろいろ小説の構想をしているうちに、それも馬鹿らしくなって来て、そんな甘ったるい小説なんか書くよりは、いっそ自分でそれを実行したらどうだろうという怪しい空想が起って来た。今夜これから誰か女のひとのところへ遊びに行き、知らん振りして帰って来る。そうして、来年の七夕にまたふらりと遊びに行き、やっぱり知らん振りして帰って来る。そうして、五、六年もそれを続けて、それからはじめて女に打ち明ける。毎年、僕の来る夜は、どんな夜だか知っていますか、七夕です、と笑いながら教えてやると、私も案外いい男に見えるかも知れない。今夜これから、と眼つきを変えてうなずいてはみたが、さて、どこといって行くところは無いのである。私は女ぎらいだから、知っている女は一人も無い。いやこれは逆かも知れない。知っている女が一人も無いから、女ぎらいなのかも知れないが、とにかく、心あたりの女性が一人も無かったというのだけは事実であった。私は苦笑した。お蕎麦屋の門口にれいの竹のお飾りが立っている。色紙に何か文字が見えた。私は立ちどまって読んだ。たどたどしい幼女の筆蹟である。
 オ星サマ。日本ノ国ヲオ守リ下サイ。
 大君ニ、マコトササゲテ、ツカエマス。
 はっとした。いまの女の子たちは、この七夕祭に、決して自分勝手のわがままな祈願をしているのではない。清純な祈りであると思った。私は、なんどもなんども色紙の文字を読みかえした。すぐに立ち去る事は出来なかった。この祈願、かならず織女星にとどくと思った。祈りは、つつましいほどよい。


神様は常に大我を受け入れてくれます。


| 1/2PAGES | >>

calendar

S M T W T F S
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031    
<< July 2007 >>

selected entries

categories

archives

recent comment

links

profile

search this site.

sponsored links

others

mobile

qrcode