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  • 2021.08.18 Wednesday
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地球温暖化

ここ何日か、本当に蒸し暑くて参りますね。我が家の三男も初めての夏にすっかり参っている様子で、いつも伸び〜と長くなっています。(笑)

それにしてもここ10年くらいで本当に暑くなりました。
私の大学時代、渋谷でアルバイトをしていた時はスクランブルのデジタルの温度計が30℃でもすごく暑い〜!と思ったものですが、最近ではあのあたりは照り返しもあって40℃近くになっているのではないでしょうか。
車にエアコンに生活が便利になるにしたがって、環境は破壊されていきます。
この不快な季節も人間のエゴが招いた結果。
なんとも因果なものです。
環境問題に関心のない方でも、そろそろ現状に気付き、何らかの行動をおこさなけば、本当に取り返しのつかないことになります。
自分のできることから即実行を心がけたいですね。


目覚めた人

仏陀はサンスクリット語で「目覚めた人」「悟った者」などの意味になるそうですが、仏陀の教えで面白いことがありました。
まさにスピリチュアリズムに通じるもので、呼び方が違えど、やはり真理はひとつなのだと思いました。

仏陀はカルマを作る大きな力を心の3つの毒素、三毒(貪:どん・瞋:じん・癡:ち)と名づけ、この三毒ををつくらないように日々の生活を心がけたならばカルマは解かれると説いています。
「貪」とは貪る心であり、何事につけ自分を優先し、自分利益を考える利己心の現われ。
「瞋」とは激しい怒りのこと。
「癡」とは心が迷妄の状態にあり愚痴や嫉妬などの真理に暗い状態のこと。

三毒はまさに「負」のエネルギーです。
カルマはブーメランですから、自分が投げたものは必ず自分に戻ります。
ですから、自分の心ひとつで今生を良くも悪くもできるわけですね。
勿論過去世で投げたブーメランを今生で受取ることもしかり。とはいっても、こちらは受取ることができるということは、受取るまでに自分が成長しているということでもあります。
ですから「カルマ=悪いこと、バチ」ではありませんので、必要以上に怖がることもないですね。

ともあれ、よきにつけ、あしきにつけ、幸せになりたかったら周りを幸せに。
正直な話、自ら「負のカルマ」を撒くのは時間がもったいないですし。(苦笑)

先人のメッセージ

エドガー・ケイシー(1877〜1945)という優れた霊能力者がいましたが(正確には催眠状態で、素晴らしいリーディングを為した方です。)
その彼の言葉で、
「宇宙は、あなたが必要とするものを、必要な分だけ与えて下さる」
「人間の能力や才能は、その人の掲げる理想の高さまで引き上げられる」

とありますが、この言葉を読みかえす度に、自分の今生、いろいろ起きることは全て意味があり、一時辛いと思えることも全ては自分のあるべき姿への通過点でしかない、と時間が教えてくれ、実感することができます。

自分と向かい合い、自分たましいの癖を知ることによって、自分の進むべき道が見えてきます。
また、一歩前へ進んでいこうとする自分になれます。

ことだま

先日読んだ冊子に『スタッフの定着率が低い会社、お店は上に立つものが否定的な言葉を使っているから』つまり導くべき役割を持つ者が「働きの喜びや誇り、希望を抱かせる言葉を使っていない」、ということでした。そして、肯定的な希望を持てるような言葉を選んで使う努力をすると定着率も雰囲気も良くなるそうです。
そして会社やお店には様々な雰囲気がありますが、結局それはそこに集まる人によってつくられている、という面白いコラムを目にしました。
確かに、言葉にはパワーが宿っているので、当然のことといえます。

これは人も同じです。
いつも「でも、だって、どうせ、できない、ああだから、こうだから悪い」を連発する人はやはりプラスの印象を与えません。
また、波長により否定的な物言いをする人の周りには、同じように否定的で言い訳が多く、良くなるための努力をしない人が集まります。
否定することは簡単で努力が要りません。けれども肯定することに意味があり、自らが変わることにより、波長が高まり状況が変わっていくことを体感して初めてたましいの成長があります。

恋愛も仕事も家庭も、何か思うようにいかないことがあるのは、成長のおしるし。
人には言葉があります。
どうせ、とあきらめる前に言葉を活かしてよりよい環境を自らがつくるよう、心がけたいですね。

立ち見の思い出

先月の母の日についで6月第3日曜は父の日。
今回も父と伯父にプレゼントを贈りました。他界した義父にはお墓参りに行って近況報告。自分の気持ちを伝えることの下手な日本人には、良いきっかけになりますね。

私が父との思い出で自分がいかに愛されているか、と大人になってから実感し、胸が熱くなった出来事があります。
それは当事まだ小学生(おそらく低学年だったかと記憶しています)だった私が父と一緒にアニメ映画を観に行った時のこと。
当事はシネコンのようなものもないので、街で数限られた映画館に上映時間に間に合うように劇場入りしても人気の映画は立ち見が当然。私はその日もやはり父と通路脇で立ち見でした。

今思えば父には興味がないであろうアニメ映画を立ち見。おまけに当時は週休1日。
疲れた体に鞭打ってたった一日の休日を子供のためにアニメ映画を観なければならないのです。
そんな時、立ったまま映画を観る私に、父がしゃがんで自分の脚を椅子代わりにするように促してくれました。
子供だった私は座れる♪と喜んで父の膝に座りましたが、今思えば不安定な姿勢で子供の全体重を支えなければなりません。立って観た方が何倍も楽です。
そのときのことを思い出すとありがたさで胸が熱くなります。

今そのことを口数の少ない父と話すことはないですが、私の大切な思い出(たからもの)です。
どんなに辛いことがあっても、自分が愛されている、という事実は何よりも生きていくことに対して強い力を与えてくれます。

ですから遠くはなれて生活していても、いつもあなたを想っています、というしるしに贈り物をすることはとても良い習慣だと思います。
人を愛することも、愛されることも何よりも人を強くします。


役者になる

私は映画が好きでよく観るのですが、やはりいつも感心することは役者さんがその役になりきることの素晴らしさです。
体型を自由自在に変えたり、言葉のイントネーションを気をつけたり、最近ではアカデミー賞の助演女優賞にノミネートされた『BABEL』の菊地凛子さんなどもそうですが聾唖者の役を演じるのであれば手話を完璧にし、聾唖者の生活がどういったものかを体感し、会得する。
そこまで突き詰めて初めて演じることができるのです。そしてその成功が自らの可能性を高め更に一歩前へと進むのです。

しかしながら、これは役者さんに限ったことでありません。
私たち一般人も同じこと。
会社で○○という役を演じることを望まれる、ということです。
ですから、受けた以上はやはりとことんやってみることです。
中途半端な気持ちでは決していい演技ができないのと同じく、いい仕事はできません。
また、映画と同じでひとりひとりの力で成り立っているということを前提に自分も高めていかなければ、どこかでバランスが崩れいい作品にはなりません。

会社、社会、全てにいえることですが馴れ合いで群れて仲良し集団になるものでもなく、互いに警戒しあい、足の引っ張り合いをするものでもありません。
自分の持てる力、出すべき才能をを最大限に生かしきる、これが自分が出来る最高の演技です。憧れの対象であるスターも実際は私たちとなんら変わらず、するべきことをしっかり成し遂げているということなのです。

与えられたことをこなしてはじめて、次のステップが見えてきます。
自分の演技の幅を広げましょう。


手を挙げよう!

先日47cafeさんから素敵なスイーツをいただきました。
手作り夏みかんマーマレードにチョコのマフィン。レモンとバター風味のサブレ。
お味も文句なしで、ついつい手が伸びてしまいます。
*レシピはこちらです!
あまりにも見栄えがいいので、プロのお仕事かと思いますが、なんと以前は趣味の一環にすぎませんでした。
とはいえ、その趣味を自らが勇気を出してアピールすることによってお仕事へと実を結んだのです。

お菓子作りに限らずどんなにその道に長けていても「やりたい」「こうなりたい」と手を挙げなければ誰も気付いてはくれません。
「ほんとはこんなに上手なのに〜」と自分で自分を慰んでいても、いたずらに時間ばかり過ぎてしまい、何も変わっていない自分がいるだけです。
「どうせ」、とか「そんなに上手くいくはずがない」、という気持ちは厳しい言い方をすれば『頑張ろうとしないこと=怠惰』です。
上手くいくわけがないのではなく、自分でやらないことを選んだのです。
まずは手を挙げる、ここから限りない可能性の扉が開き、今まで見たことのない道が開けます。


自分にできること

先日たった1泊2日でしたが帰省して思ったこと。
それは、両親がが思った以上に若々しく、母にいたってはお肌ツルツルで娘の私のほうが肌荒れが気になったことでした。
なんだか若返っている両親を見るのは嬉しく、幸せなのだな、と思わずにはいられません。

親孝行に限らず人を幸せにしたければまず自分が幸せになること。自分が幸せになるには人を幸せにすること。この仕組みは絶対です。
子供が不幸であったら、親は心配の種がつきません。また親が不幸であったら子供も気が気ではないでしょう。
これは親子関係に限らず、広くはこの現世に生きる全ての人との関係でもあります。
もっとすごいことにこれは現世と霊界との関係でもあるのです。
つまり、自分より先に亡くなった方に対してできることは心配させないこと。
残された人間がこちら(現世)のことはご心配なく、自分たちは頑張って今生を生き抜いて行きますから、またそちらでお会いする時まで。と気持ちを伝えることです。
ですから、何時までも嘆き悲しんだり、生きる希望をなくしたり、というのは本当のところ浄化の妨げになるのです。
誰でも泣いてすがる人を無視して通り過ぎることができないのと一緒です。
ましてや大切な人となると放っておけるはずがないです。
ですから、本当に相手の幸せを祈るなら、自分もしっかりと地に足をつけて生き抜くことが何よりもの供養になるのです。
なかなか理屈で分かっていても実際に大切な人を失うと気持ちがついていかないものですが、
そんな時はこの話を思い出していただけると嬉しいです。

自分の身近な人をみて、幸せそうなら自分も幸せなはず。
実はその幸せを当たり前のこととして気づかないだけかもしれません。
自分にできることは日々生かされていることに幸せを感じていくこと。


パワーチャージ

7日、8日と恒例の年2回の帰省をかねて長野の戸隠神社に行ってきました。戸隠といえばおそば。私は長野出身とはいえ、実はおそばよりもうどん派だったので、おそばについての美味しいお店の知識はなく、せっかく長野に住んでいたのに猫に小判状態でした。
ということで、いろいろ事前に調べたところ、どうやらここが一番美味しいらしい、という「うずら家」さんに。
何でも休日は1時間以上並ばないといただくことができないとか。
今回も平日とはいえ、お昼時のお店はにぎわっていました。
こちらで天ざるを注文。
噂にたがわず大変おいしいおそばでした。これから戸隠といえばここになりそうです(笑)


さて、食べ物もパワーチャージできますが、本題は戸隠神社です。
戸隠神社は点在して奥社・中社・宝光社・九頭龍社・火之御子社の五社からなります。
今回は片道約2キロの杉並木の山道の先にある奥社に行ってきました。
参道入り口の大きな鳥居をくぐるとその途端に空気が変わるのが分かります。
画像にあるように江戸時代に植えられたという立派な杉並木を抜け、最後は石段を登ると奥社・九頭龍社があります。
道すがらうぐいすやかっこうなどの声を聞きながら進むと体も心も浄化されます。
心地よい自然の音や土や空気や小川のにおい、木々の葉の緑が陽に透けて本当に美しいです。
こういう場所に来ると自分は自然の一部であって同じものなのだと実感します。
日々、時間に追われ、流されてしまう現代社会に生きていくうえで、自分を見失う前にしっかりパワーチャージ、忙しさにかまけずしっかりしたいですね。



たましいのボランティア

昨日は今年4回目のスピリチュアル講座。
テーマは「子育てと動物の霊性進化」でした。
その中でも興味深かったのが、霊性の進化です。
霊性は鉱物霊→植物霊→動物霊→人霊と進化しているのですが、今回は動物→人間について学びました。

さて、動物も野生のものとペットでは人間とのコミニュケーションが多くなるので、感情をどう表現するかということによって差が出てきます。
愛情をかければ勿論感じ取ってなついてくれるということになります。
とはいえ、動物はいくら人間とコミニュケーションができたとしても理性がないので、
自己保存の本能が中心で大我の行動ができません。
つまりペットを飼うこと、これは動物の霊性の向上(神我を芽生えさせるため)のためのボランティアということになるのですね。
広い意味では子育てと一緒です。過干渉しないという点でも同じですね。(主観ですが、ペットのためのエステやメイクなどは飼い主の自己満足であることが多い気がします。)大切なことは社会のルールやマナーをきちんと教え、たっぷりの愛情を持って育てることが一番。
動物だったら、吠えない、咬まない、散歩の歩調を合わせるなど当たり前のこと。
人間の子育てが動物と違う点は、親は現世を生き抜く力をもつ子供に育てること、です。後は親だからといって人として完全なわけではありません。
子供に育てられることもあるわけですから、こんな自分もあったんだ、感情だけで子供を叱らなかったか・・・など自分を省みることによって自らも成長すればいいのです。

霊性の向上ということを考えると、ペットは飼い主がいなくては生きていけません。
人間も○○がいないと、◇◇がないと生きていけない、という依存は動物霊の名残といっても過言ではないようです。

人として、大我を持って生きること。子供がいなくてもペットを育てても十分な学びになります。また自分の子でなくても里子を引き取ることもできます。
子供の有無はその人の行いの良し悪しではなく、あくまでも学び。
子供があることによって学びがある人にはその機会がやってきます。

どんなことからも育てる学びはあります。
ペット、姪っ子甥っ子、ご近所の子、自分の子、部下なんてのもアリですね。
誰でも心の持ち方一つで親になっているのです。

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