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  • 2021.08.18 Wednesday
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アピール

早いもので、もう4月も今日で終わりですね。
目黒川沿いの桜の葉の緑が美しい季節になりました。

さて、今日はアピールについてちょこっとお話しします。
カウンセリング時に自己アピールが足りない、というメッセージのある方が驚くくらい多いのですが、やはり日本に生まれたという時点でこの確立が高くなります。
つまり、日本に生まれることを選択したということは自分が何になるか、という選択肢がとても多く、(日本は基本的に家柄、身分などの差別がなく、自分さえ頑張れば大抵の職業に就けます。字が読めない、書けないという人もまずいません。健康面でもごく普通に成長し大人になれるだろうと誰もが信じて疑いません)結果として自分がやったか、やらないかによって今の状況を大きく変えることが出来ます。

ですから、がむしゃらに頑張らなくてもなんとなくごく普通の生活を望めます。
おまけに日本は相手の気持ちを察することを美徳とする傾向もありますので、
私はこう思う!とはっきり言うよりも遠まわしに言う、もしくは察して欲しい、というような依存が生じます。

アピールというとどうも「自分はすごい」と自分を売り込む、または「これはやりたくない」など言いづらいことばかりを想像される方が多く、そのためにできないと思い込むことが多いようです。けれどもアピールは決して「出る杭」になることではありません。
今の自分がどういう状況か、と相手に伝えるだけでいいのです。
人に褒められても「これが最後」と思い、割りきって仕方なくやったことであれば、いくら褒められても実は苦手なのだ、ということを伝えなければまた同じ仕事を頼まれるでしょう。
なりたい自分と方向性が異なる時も同じです。

つまり「やりたくない」という否定ではなく、「自分はどうなのか」という自分の説明をすることです。これがアピールです。
否定や売り込みでなく、自分を伝えること。

自分を伝えることができれば、相手が自分に関して「本当はどうなんだろう?」などど探る必要がなく、相手に気を遣わせない自分になることができます。
仮に自分の思い通りにならない時も、なぜそうすすめられないのか、という理由を相手がきちんと教えてくれるので、変に疑ったり落ち込んだりする必要がありません。

アピールは気を利かせること。
なりたい自分になる第一歩でもあります。
自慢や自己中心的なことではありません、本当の意味で人間関係をスムーズにする潤滑油です。

自転車と虚栄心

今日、虚栄心について話をしていた時に昔のことを思い出しました。

私が子供の頃、小学生になるくらまで三輪車で遊んでました。
私の友達の多くはそのうち自転車を買ってもらい、私も習い事に自転車でいけるメリットもあり、自転車を買ってもらいました。
その後、体が大きくなるにつれ、友達はひとり、またひとりと新しい自転車を買ってもらっていました。私は友達と遊んでいる時も自分の古臭い自転車がなぜか恥ずかしくて、母に新しい自転車が欲しいと頼みました。
そして母に欲しい理由を聞かれた時に「大きい自転車が欲しいし、あとみんな新しい自転車を持っているから」といいました。
ところが母は、私が今の自転車が子供っぽくて古臭く恥ずかしいから欲しがってるということを見抜いていたようで、大きい自転車が欲しいならお母さんのを使っていい、といい決して新しい自転車を買ってくれませんでした。
私は必要なものはちゃんと買ってくれる母だっただけに、私としても、これは必要ないということなのだな、と思いました。

今思えば自転車なんてなんだろうが、どうだっていいことです。どんな自転車に乗っていようが目的地に行けないわけではありませんし、最新の自転車を持ってないといけないわけでもありません。
けれども私は自分の自転車がいやでした。おまけに母と同じいわゆる「ママチャリ」はかっこ悪いという思い込みも強かったのです。
そして高校がバス通学だったこともあり、なんとなく自転車からは遠ざかってしまいました。

今思うとあの時母は、人が持っているから、古いのが恥ずかしいからという私につまらない虚栄心があることを気付かせたかったのでしょう。
こうでなければダメだ、こうでなければ恥ずかしい、といったちっぽけな虚栄心に惑わされず、自分を見つめ持ち物や地位、名誉そんなものでなく自分が努力し、その結果に自信を持つ、そんな基本を母は教えてくれました。

虚栄心は自分への足枷。本当の自分、人間性に自信を持てるようにしたいですね。


飼い猫に手を咬まれ・・・

このところバタバタしていてすっかり更新が遅れてしまいましたが、(長男猫にオムツをつけようとして大激怒され、咬まれて手が腫れてしまい病院にバスで毎日通ったり、などなど:(苦笑))この事件からいろいろなことを思いました。
長男猫ミュウ(チンチラ)と暮らし始めたのは13年前。
当事私は人間のエゴや勝手な都合で去勢なんて!!と思っていました。その後何年も問題なかったのですが、結婚後環境が変わったせいか、急にミュウのスプレー(おしっこをしてマーキングすること。これが強烈な「かほり」でして・・・)がはじまり、当初は何とかその度おしっこふいたりしてたものの、それも追いつかず結局夜や来客時はケージに入れることになりました。
一時のかわいそう、といった今思えば綺麗事にもおもえる考えが(当事もっと信用できるお医者さまが居たら手術していたかもしれませんが・・・)結局はケージに入れたり、今回のようにオムツを着けてもらうようなことになってしまったわけです。

猫の去勢や避妊手術はしたほうが病気も防げたり、かえっていいことも多いようです。
この経験から、今では他の子たちは8ヶ月になったら去勢!と決めてますが、このことに限らず、良かれと思ってしたことも思わぬ裏面にでることがあります。

何事もこうあるべき、またはこうあることが望ましいのだ、と決め付けずいろいろな方向から見つめること、そしてその深意に自分はこう見られたい、というような小我がないか、その判断は大我でしているか、ということを常に問いかけながら決めるようにしてきたいものです。

ひとつ

春の芸術月間もこの「イングリット・フジ子・へミング」のソロ・リサイタルで締めです。
去年に引き続き、今年も友人と彼女の素晴らしい演奏を聴くことができました。
正直私はピアノの音よりも弦楽器の音のほうがすきなのですが、フジ子ちゃんは別物なのです。
ハープを奏でているようなやわらかくて心に染み入る音。
今回もショパンのエチュード「木枯らし」や、リストの「ため息」「愛の夢」そして代表作「ラ・カンパネラ」を惜しみなく披露してくれました。
そしてアンコールではショパンの「革命」が!
私は彼女の弾く革命が大好きで、その音の先に見えてくるものがあります。
作曲者の気持ちや、その時代背景などなど。
題名と曲が一致していない方でも、これはきっと木枯らしだな、とか蝶々だな、と曲からイメージがわくのです。
今回の曲はテクニックに走りやすい曲ばかり。
けれども彼女の演奏はその情景を感じさせるセンスにあふれていました。
ただ練習しただけではああは行きません。
彼女の生き方、苦難、経験、全てが彼女の演奏をかたどっています。
演奏中に強く感じたのが彼女の体から音符が飛んでいる、(音がでている)という感覚でした。ピアノと彼女自身がひとつになっているのです。
テクニックだけでは人は感動しません。
やはりその人の生き方、経験、これに尽きますね。


邦画

今日はあくまでも主観での映画の話です。
実は私は邦画は苦手でほとんど見ません。話が軽すぎてつまらないか重すぎて苦しいか、心に残らないのです。でもこの『Love Letter』だけは実は小説まで読んだ唯一の邦画なのです。
初めて観たのはたぶん10年以上前かと思いますが、自分の心の奥深くにしまいこんだ誰にも言いたくない大切な思い出の箱を開けたような、あの感覚はこの映画以外には感じたことはありません。美しいピアノのBGMに美しい映像。そして色。雪、図書室のカーテン、夏服の白。全てが大人になった今となっては痛いほど残酷でこれ以上の美しい話はないと思います。現実ではありえないからこそいいのですよ〜。
純愛が受ける韓国でこの映画が好評というのもうなづけます。
特に中学生時代のエピソードが素晴らしいのです。柏原崇君と酒井美紀ちゃんなんて最高の組み合わせ。
メールが一般的となった今の時代が失ってしまった大切なものがこの映画にはあります。
なぜにこんなに語ってしまったかというと、いまさらながらどうしても欲しくなってDVDを購入したのです。(今まではビデオしか持ってなかったので)それで久しぶりに観たところやはり号泣。10年以上たっても素晴らしいものは素晴らしいということをいいたかったのです。本物は色あせない、人間もそうありたいな、と思ったのでした。

『SPIDER-MAN 3』 ワールドプレミア in TOKYO

今日は六本木ヒルズにあるTOHOシネマズで行われた『SPIDER-MAN 3』ワールドプレミア in TOKYO に行ってきました。
世界に先駆けての試写会ということで、出演者はもちろん、監督さんも来日されていました。
さて、このSPIDER-MANシリーズ、1・2を観ていないとこの3の話はさっぱり分からないというものなのですが、実は奥が深いのです。ただのアメコミの映画化ではないのですよ。
公開は5月1日なのでネタバレはしませんが、テーマは(あくまでも主観ですが)「人間の未熟さ、弱さ、エゴ、真実を知ること、そして自分を赦し、人を赦すこと」でした。
私はまたまた涙なくしては観れなかったので、それはもう大変でしたが、この3を観るために、1・2を観られても損はさせない!!と思われます。
人間ってどう生きていけばいいのか・・・そして自分を小我(自己中心的な気持ち)から解放して大我(相手をまず思う気持ち)に向かわせるという実は素晴らしいテーマがあることを発見してしまいました。
これから見られる方も多くいらっしゃるかと思いますので、詳細を書けないのが辛いのですが・・・。私的には奥の深いお勧めの作品です。

それにしてもヒロインのキルスティン、場内のスクリーンでレッドカーペットの様子を見ていたのですがめちゃめちゃかわいかったです。
映画館でもう一回観てもいいですね〜。勿論ハンカチ持参で!!


自己分析力

今日は本年度スピリチュアル講座の3回目。
テーマは「人間関係、供養、浄霊法」でした。
今日の講座では自己分析の重要さ、そしていかに自分に都合よくいろいろな現世での出来事を受け止めているかというなかなか面白い講座でした。

スピリチュアリズム=霊交思想
もっと平たく言うと人間は霊的な存在であり、肉体を持った霊ということになります。
この世に生まれてくるのは過去世での経験不足を補い、より霊性の向上を図るためです。ですから死んだら全てお終い、な訳でなく肉体というたましいの入れ物がなくなるだけで、霊=魂はその個性も経験も全て無駄にならず存続するということなのですが、知識としてわかっていても自分のこと、そして身内のことになるとどうも分からないということが多く見られます。

生きるということは自らのたましい(なぜ生まれてきたかったのか)を知ること。
日々の出来事からなぜこういったことが起こるのか、それは生まれてくるまえから決めていた宿命的なものなのか、もしくは自分がまいた種、運命的なものなのか、そこを見極めること。それが自己分析です。
これができれば自分の身の回りに起こることに無意味なことはひとつもなく、何を経験するためにこうなったのか、何をしたからこういう結果になったのかが分かります。

故人に対する気持ちひとつにしても、生前分かり合えなかったことが悔やまれる、病気で亡くなったので心配、未浄化になっているのではないか、等々相手のことを思いやっているように聞こえますが、霊的心理を理解していればあえて悩むこともないようなことがほとんどであって、その多くは実は自分が安心したいだけだったり、ということです。

方法は千差万別ですが、人間関係に対しては自己分析すること、供養に関しては故人に現世に執着しないよう促してあげること、ですね。

ちょっと専門的は話になってしまいましたが、怖れるものがなく現世を生き抜く最良の方法が霊的真理を知ること、です。
決して現実社会から逃避し、宗教的に逃げ込むことではありません。常に冷静に判断して、最良の方法をこの物質主義の現世で行うからこそ意味があるのです。
そのために生まれてきたのですから。

コンプレックスと愛

今日は江原さんのスピリチュアル・ヴォイス公演の最終日。(この後追加公演もありますが)サポーターズオンリーの公演でしたので、和気藹々としたあたたかい雰囲気の中とても素晴らしい時間を堪能させていただきました。
前回もお話したとおり、公演のテーマは「未来の創り方」。
未来は自分の宿命と運命をコントロールし、セルプロデュースすることによってつくれるのだというお話をいただきました。

詳細はとてもここには書ききれないのですが、ひとつ皆さんに多い悩みかと思われる、
コンプレックスによる恋愛、結婚に後ろ向き?!症候群?!のお話です。

たとえば自分の体に何か問題があるとか、家族に問題があるとか、国籍や宗教のちがいだとか・・・決してひがんだり、開き直ったりしているわけでなく、相手に迷惑をかけてはいけないから、という理由でついつい尻込みしてしまう場合がありますよね。
そんなに大それたことでなくても、美人じゃない、スタイルが良くない、若くない、再婚だ、子持ちだ、等々人と比べて自分はダメだ、と思い込むことも多々あります。

けれどもそれは本当の愛かを知るための「おしるし」ということなのです。
みんな相手にマイナス要因がある場合は「私はそんなこと気にしない、2人で乗り越えていこう」と前向きになるものですが、自分のこととなると「私があきらめればいい、相手に迷惑をかけたくない」などと、とたんに後ろ向きになります。
コンプレックスは意外と自分で大きくしているだけで、本当の愛の前ではただの個性にしかすぎません。
それが嫌だといって離れていく人はそれまでの相手。
早いとこ気付いてよかった、ということです。(苦笑)

自分よりも人を大切に思うという磨き上げた美しいたましいを持っているのですから、ここはひとつ勇気を出してコンプレックスに打ち勝ちましょう。
コンプレックス=本当の愛の前では無力

※実は私もコンプレックスがあるのですが、それは個性に過ぎないと克服しました。必要なのは自分を変える一歩を踏み出す少しの勇気だけです。

正負(ペットの定義)

ペットとして購入したフェレットなどの小動物を虐待したり殺害したり、その映像をネット上に投稿していた男性が逮捕されたニュースは皆さんご存知かともいますが、その男性の言い分は、
小動物に自我があるとは思わない。物だから虐待ではない」でした。
想像力の欠如。全てはここに行きつくと思います。
想像力が欠如しているから
尊い命あるも自分よりも弱いものを虐待し、
画像をネットで面白半分に投稿し、
人の心の痛みが分からず、
なぜ自分のしたことが罪になるのかが分からない。
体と偏差値は一人前の大人でも、心はまだ子供のまま。子供だから残酷で、罪の意識がないのですね。

こんな目を、耳を疑うようなニュースとは打って変わって、ニューヨークでのお話。
「猫ちゃんのため」とタクシーで米横断
NY在住の老夫婦が二匹の飼い猫のためにニューヨークからアリゾナ州の新居まで飛行機は使わず、38時間、4000キロをタクシーで移動した、とのお話。
私もねこと暮らしているのでよく分かるのですが、飛行機では貨物室で保管され「物」として扱われます。ですから空輸は私的には絶対にありえません。
ペットは小さな体でも人となんら変わらない尊い命をもった家族です。
ペットの幸せはいつの間にか自分の幸せにつながります。
決してペットを犠牲にして自分が幸せになることではないのです。
ペットに限らず、
家族の幸せは自分の幸せ。
誰かの幸せは自分の幸せ。

幸せは受取るものでなく、自分で作り、分かち合うもの。


お気に入りのうつわで

忙しいとついついおろそかにしてしまうのが食事。
日本はお惣菜屋さんも豊富で、いざとなったらコンビニで済ませることもできる便利な国。
けれども、食べることは自分の体をつくること。
私はインチキベジタリアンなので、好んで肉や魚はたべませんが、やはり大地の恵みであるお野菜や果物など「命」をいただいて日々生かされています。

私がフランスでホームステイしていた時にマダムやそのお友達から学んだことは食へのこだわりを大切にするということでした。
自分の体をつくるものだからいい加減なものは食べてはいけない、一緒に食材を買出しに行く際、幾度となくマダムの口から出たことばでした。
バランスよく素材を生かした料理をする。目でも楽しみながらいただく。
旬の食材を使うことによって体に抵抗力をつける。
実はとっても大事なことだったりします。
(確かに皆さん病気知らずで実年齢よりもずっと若く見えました)

私も今日はお気に入りの和食器で体にやさしい食事をしてみました。
食事の力ってすごいんですよ。目黒の精進料理「蔬菜坊」さんに行った翌日などは体の調子がホントいいですもの。
後はこれを続ける努力ですねぇ(汗)


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