やりたくないことはやらない

新年を迎えると今の自分を見直す機会が増え、

 

「自分には何が本当に向いているのかわからない」
「好きなことが見つからない」

 

という相談をよくいただきます。

 

実は私も大学卒業後、ファッションが好きだったことからアパレル会社に就職し、仕事が生活の中心という毎日を送り、体を壊すこともありました。

そして、ある日、


「こんなことではいけない、すり減っていくだけだ!」 と思い、
「自分に合うこと、生きがいややりがいのあることを見つけて極めていこう」


と転職をすることにしました。

 

そこからは旅行代理店、商社、コスメブランド、webデザイナーなど様々な仕事に携わりましたが、決め手に欠けて器用貧乏になるだけ。

「本当に好きでやりたいことって何なんだろう?」とふたたび迷走し始め、あらためて「何をやりたいかではなく、何をやりたくないか」を書き出すことにしました。

 

その結果、自分が望んでいることが見えてきました。

 

いつも前向きに、ゆるぎない夢に向かって挑戦し続けることは素晴らしいことです。
しかし、そのように明確な夢が誰にでもすぐに見つかるわけではありません。
日々を無難に過ごしていくなかで、自分はどうしたいかがわからなくなってしまうこともあります。


そうした時、発想の転換をしてみてはいかがでしょうか。

 

「好きなこと」と「嫌なことをしない」ことは同義です。
柔軟な発想で、なりたい自分を発見することもできるのです。


聖地

早いもので今年もあとひと月。


多くの方が年の初めに神社仏閣などに詣で今年の目標や誓いをたてられたかと思いますが、
どのような一年をお過ごしになられたでしょうか。

 

最近のパワースポットブームも相まって、
有名で大きなお宮に行ったほうがいいのでは、などと思われがちですが、
誰にとっても一番大切で、最初にお参りしたい”聖地”が「産土(うぶすな)の神様」と「氏神様」です。

 

産土の神様とは自分をこの世に送り出してくださった深いご縁のある、自分が生まれた土地を守る神様。
氏神様は今の自分を守っている、今現在住んでいる土地の神様。

日本全国、必ず一つのお宮がその土地を守られています。

 

私自身も毎月の朔日参りは氏神様にお参りし、毎年伊勢神宮へ詣でる際もまずは氏神様にご挨拶をしてからとなります。

何事も足元から、ですね。

 

また、よく混同されがちなのがスピリチュアルスポットとパワースポットです。
スピリチュアルスポットは神聖な祈りの場で、
パワースポットはまさに大地のパワーを感じるような温泉やハワイや癒しの場のことです。
祈りの場では癒されませんので、正しく使い分けましょう。


家を見て自分を知る

よく『家は精神に影響する』などといわれています。

 

几帳面そうに見えた人の部屋やデスクがごちゃごちゃだったりすると結構ズボラなんだと思ったり、

逆にいい加減な人に見えたけど、整理整頓がきちんとしていて意外だった、というようなことがあるように、

家や部屋を見るとその人の本質を垣間見ることができます。


実際、モノが多い人は心配性で物事の優先順位を決められないことが多いですし、
モノを捨てられずため込む人は過去に囚われやすく、物事にも後ろ向きで変化を嫌う傾向があります。

また、片づけられない、整理整頓が苦手な人は自分の心が整理できない、常に気持ちも取っ散らかっている状態で自分の気持ちを人に伝えることも苦手であることが多いのです。

そしてモノにあふれ散らかった家を見るとさらに落ち込み、考え方も「でも、だって、どうせ」と言い訳が多くなりネガティブになります。

一般的にも、街に落書きが多くなると犯罪が増えるという負の連鎖についてもよく言われていますね。

 

なので、前向きになれない、愚痴っぽい、自分はダメな人間に思える、何をやっても無駄な気がする、イライラする・・・・というような気持でいっぱいの時こそ掃除と片付けが効果的なのです。

 

きれいに片付いた家にいると、不思議と気持ちもポジティブになります。

素敵なお家に招かれたり、旅先のシックなホテルや旅館などで心地よく過ごせることと同じで、「掃除をする、片づける」というこんな単純な作業で驚くほど気分が変わります。

先に触れた落書きもすべて消し、美術学校の生徒さんにきれいな絵に描き換えてもらったことで落書きがなくなり、街の治安が良くなったという話も耳にします。


散らかり放題の状況が平気だったり、心地よくなってしまったり、気持ちが荒れたり、投げやりになったりした時は、波長が下がり本来の自分でなくなっているという証拠です。

 

自分らしい充実した毎日を過ごすためにも、まずは自分の家、部屋を心地よい空間にすることから始めましょう。


肩書≠信用

先週末、宮司が逮捕というNewsが上がってきましたが、宮司といえば会社で例えれば社長です。

神に仕え、多くの人を導くお役目に就くそれもお宮の代表者がまさか、と思われる方がほとんどかと思います。

 

また最近のオレオレ詐欺も集金に来るいわゆる「受け子」と呼ばれる人たちに高齢者が多く、

若者だったらおかしいな?と疑ったけど、自分と同じくらいの年配の人だったためについつい信用してしまったという話もよく耳にするようになりました。

 

”世間的に信頼される職に就いている人だから”

”感じがよい年配者なので信用できそう”


などという

肩書やこの人は感じも良いし、いい人そうだし大丈夫だろうなどという思い込みで人を見誤りやすいことへの警鐘ですね。

 

皆さんはいかがですか?


欲しいものを手に入れるには。

「もっと自分に才能があったら、」
「もっと自分に自信が持てたら、」
「自分もあの人みたいにこうだったら、ああだったら・・・。」

 

はたから見れば多くの可能性や、素晴らしい才能を持っているように思える人からもこういった話をよく聞くことがあります。

 

そんな時に私がいつも思い出すのが、『オズの魔法使い』のお話。

 

家に帰りたいドロシー
知恵が欲しいカカシ
勇気が欲しいライオン
心が欲しいブリキの木こり

 

みんなオズの魔法使いに自分の願いを叶えてもらおうと冒険するのですが、
仲間と一緒に旅する中で、

 

カカシは知恵を絞って困難に立ち向かおうとするようになり
ライオンは勇気を出してドロシーを助け
ブリキの木こりはドロシーの気持ちを想い、涙するのです。

そして終いには願いをかなえてくれるはずのオズの魔法使いはただのマジシャンでしかなく、ドロシーは自分の力で行動を起こし、無事家に帰ることになります。

 

つまり、欲しかったものは最初から自分の中にあったのだけど、気づかなかっただけ。
そしてみんな自信が持てなかっただけなのです。

自分では何もせずただあこがれて、与えてくださいと祈るばかりだった「欲しかったもの」が仲間との冒険という経験を経て、実は初めから自分の中にあったのだと気づく、というお話。

100年以上前に書かれた児童文学ですが、すべての人が忘れがちなことを教えてくれます。

 

「自分には特に優れたものはない」
という方がとても多いのですが、すべての人には前世からの経験があるのですから、何も持っていない人などいません。

「楽をしたい、確実でない行動は起こしたくない、失敗や恥はかきたくない」

と何も行動を起こさず、耳障りのいい言葉に囲まれ、居心地いい場所にばかりいても「気づき」と「成長」はなく、欲しいものは永遠に手に入りません。

 

成果主義になって結果を恐れずにいろいろな人と出会い、いろいろな経験すること。
経験を通じてこそ自分の欲しいものが実は自分の中に既にあったということに気づきます。

そしてその才能をどう活かしていくかを常に考えて、人生を充実させることが大事ですね。

 


自分という素材を活かす

私は30代の前半に語学留学したのですが、その時素敵な大人にたくさん出会いました。

 

ホームステイ先にはジャーナリストのドイツ人男性
同じクラスには看護師をしながら語学を学ぶドイツ人の女性
ガーデナーでありつつもより見聞を広めたいというノルウェー人の女性
アフリカで野生動物の研究をしながら学びを深めに来たセネガル人の男性
闘病しながらもフランス語の教師になりたいスイス人の男性
結婚を意識したパートナーがフランス人で、いずれフランスで仕事に就くために学びに来たデンマーク人の男性

 

クラスメイトのほんの一例ですが10代後半から50代後半まで国籍・性別・年齢も仕事も様々。
どの人からも変わらない人の口癖「でも、だって、どうせ」を全く耳にすることがなく、

何につけうまくいきそうか、成功しそうかなんて結果にばかりとらわれずに、常になりたい自分を目指して、自分の人生を自分のやり方で充実させようとしている人ばかりでした。

 

よく、

したい人、10000人。
始める人、100人。
続ける人、1人。

 

などと言われますが、何につけ続けられる人は人と自分を決して比べず、自分なりの哲学を持ち、周囲の言葉に惑わされなかった結果、なりたい自分を実現するのです。

 

どうしても人は思うように物事が進まない時に、

 

「そんなの無理なんじゃない?」
「もっと確実なことをしたほうがいいんじゃないの?」
「そんなことやっていて結果につながるの?」
「そもそも向いてないんじゃないの?」

 

といった“あなたのために”という変化を良しとしない言葉に自分の才能や可能性を全否定され、心が折れてしまいがちです。

けれども物事がうまく運ばないのは「考えない」からです。


自分は何が好きか、どうなりたいのか、何が向いてるのか全く考えずに、人が輝いている同じ土俵で自分も輝かなければと思っているからです。そのために簡単に人の言葉や情報に惑わされてしまいます。

 

大事なことは誰かや何かに頼るのではなく、視野を広く持ちいろいろなことにチャレンジして自分はどんな土俵に立ちたいのかを発見していく、「行動に移す」ということです。

 

いろいろと不安になるのは自分が重い腰を上げずに、そこから動こうとしないから。

不安を希望に変えるのは自分の行動のみ。
未来を変えるのはだれかではなく自分自身。
自分の行動が世界を変える第一歩なのです。


出会う人は自分の映し出し

生きていくうえで一番ストレスになって問題が起こるのが人間関係。
学びが深い分、得るものも大きいのですが、なかなかそこを頭でわかっていても、心が追い付かず自分の常識が通用しない相手とのやり取りについイラっとしてしまいがちです。

けれども、その気持ちを分析してみるとイラっとするのは自分のことをわかってくれなかったり、自分と同じであるべきだ、という相手への依存と期待であることが多いのです。


よく「裏切られた」という人も
相手が自分に「何かしてくれるはず、自分を受け入れてくれるのが友達」
などと間違った甘えを友情と勘違いしていたために、核心をついたことを言われると「傷ついた」とか「冷たい」などと言ってみたり、

「好かれたい、いい人と思われたい」という気持ちからなんでも自分でやってしまって、その結果「利用された」と言ってみたり、

「信じたい、自分と同じ気持ちであってほしい」という期待から
明らかに「おかしいな?」ということに目をつむって事実を認めたくないと感情に流された結果、騙されたり裏切られることが多いです。

 

自分が常識的であればあるほど、「普通こうあるべき」の期待は学びゆえに大きく裏切られることになります。
そしてその経験から自分の未熟さに気づき、人に依存せず、自律することを促されたり、

本当に相手のためになることは何か、ということに気づいたり、
世の中、いろいろな人がいて、それぞれの常識をもっているのだということを知り、そこから柔軟性を持ち、広い視野をもつよう促されるようになります。

 

自分は変わろうとせず周りに変わってほしいとばかり望む。
これでは自分も相手も成長せず、変わらない相手を非難するだけで終わってしまいます。


出会う人は自分の何を映し出してくれているのか。
人は人と関わらなければ成長できず、自分を知ることもできないもの。
だからこそ常に理性的に状況を判断できるよう、心がけて行くことが争わずストレスなく生きる秘訣です。


エンディングノートを。


日本の高齢化社会に伴って、終活についての話題も当たり前に交されるようになりました。

とはいえ、まだまだ縁起でもないとご家族が思ったり、ご本人が考えてはいてもいきなり樹木葬や思いのある土地への散骨を希望するなど死後のことを語りますが、大事なのは死に至るまでのこと。

 

日ごろのご相談でも「故人は何か思い残しがないか、きちんとあの世に行けているのか 最後の処置はあれでよかったのだろうか」などご心配されている方がいかに多いか。

 

そんな昨今、今月闘病中であった叔父が帰幽したのですが、生真面目で几帳面な彼らしく、しっかりとエンディングノートが残されていて、とても役に立ったようです。

 

・どこに何がしまってあるのか
・自分の銀行やその他もろもろの暗証番号やパスワード
・加入している保険の詳細
・財産はどうしたいのか
・ペットなどのかかりつけ医や病歴、性格、嗜好、ご飯の種類、保険の有無
・延命措置の有無
・臓器提供の意思
・万が一の時誰に知らせたいか
・お葬式の希望、遺影、形式、宗教、戒名などの有無


などなど、必要最低限のことでもまだ足りないくらいです。
さらに自分の歴史や想いなど挙げたらきりがありません。

自分がどんな人間で、何を大切にして、そしてどうしてほしいのか。
これらを明記することで、万が一の時にどう対応することがいいのか、残された人がスムーズに対応することができます。

 

私自身もエンディングノートを書いていて自分という人間の整理整頓をしたような気持になり、今後の人生をどうしようか、これだけは絶対にやりたい、などと改めて自分を知り、人生の優先順位を確認することが多いです。

 

「死」を意識することは縁起でもないことではなく「生」を充実させることにつながります。

 

明日の朝、今日と同じように元気に目覚める保証はどこにもありません。
だからこそ、常に生かされていることに感謝し、自分が愛する人、大切な人に本当の自分を知ってもらい、悲しませないために、そして自分が決して後悔しない人生を送るためにも、若いうちからしっかりと記してその時々で見直し、書き残すことを習慣にしましょう。

 


御代替わり

毎月恒例の氏神様への朔日参り。
平成から令和への御代替わりにふさわしく、晴天の後の浄化の雨。

 

便利であること、楽なことが最優先され、人間関係が希薄になった結果、コミュニケーションをしなくなり、ちょっとしたことでキレやすくなって事件にまで発展することが頻繁に起きるようになりました。

 

バレなければいい、自分さえよければいい、今楽しければいいと「今だけ、金だけ、自分だけ」が横行する時代になり、人の気持ちやその先のことを想像する感性が失われ、平気で人をだましたり、嘘をつくことが当たり前になりました。

 

だからこそ何につけ思慮深く、

「何かおかしくないか?」「本当にそうなのか?」「事実はどうなのか?」

と常に問いかけ、確認すること。

「本当の幸せは何なのか」ということをしっかりと見つめて、未来に向けて負の遺産ばかりを残さないように、こころ正しく生きていくことの重要さを感じました。


スピリチュアリズム記念日

3月31日はスピリチュアリズム記念日です。

 

1848年3月31日にニューヨーク、ハイズヴィルに住むフォックス家の姉妹がラップ音によって霊と交信をし、死後の世界があることを客観的に示した近代スピリチュアリズムの始まりの日。

そしてここから本格的な心霊研究が始まりました。

 

人はなぜ生まれ、どのように生き、死後どうなるのか。

そして自分に起きる出来事にはどんな意味があるのか。

 

死後の世界が存在しなかったなら、

 

なぜ物質的にも精神的にも恵まれている人といない人がいるのか

なぜ人と比べることに意味がないのか

なぜ人にやさしくしすることが大事なのか

なぜ頑張ることに意味があるのか

そして、なぜ生きていかなければならないのか

 

などなど説明がつきません。

 

すべての「理不尽やなぜ」にこたえてくれるのが霊的真理です。

そして私自身もこの叡智を学ぶことで生きる意味を見いだせたひとりです。

 

今苦しんでいる人、悩んでいる人、生きる意味が見いだせない人

自分らしく生き生きと毎日を過ごせない、その理由が見えない人

苦難の意味が分からずもがき、答えを必要としている人

 

そんな苦しみの中にいる人にこそ必要な人生哲学、これがスピリチュアリズム(霊的真理)です。

本当の幸せは自分が望みさえすれば与えらるのです。

 

生かされていることに感謝し、喜怒哀楽、多くの経験を積んで人生を楽しみましょう。


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